軍職に就かれたそうだ。そのお気に入りの柳沢侯[#「侯」は底本では「候」]、最初は微祿であられた所が、この壺を借りたその日から、トントン拍子に出世されたそうだ。……で、この壺はそれ以来、甲府勤番御支配頭の、保管に嘱《しょく》していたものだそうな。そうして甲府城の土蔵の奥に大切に仕舞《しま》って置かれたんだそうな。……そいつを「爺《とっ》つあん」が盗み出したのよ」
「へえ「爺つあん」? 葉村《はむら》のかえ?」
「うん、そうさ、あの葉村のな。……今こそ玉乗《たまのり》の親方か何かで、真面目に暮らしているけれど、昔はどうして大悪党よ、俺ら以上の悪党だったのさ」
「だがおかしいね、その「爺つあん」が、どうして手に入れた宝壺を、釜無の岸へなんか埋めたんだろう?」
「そいつア俺にも解らねえ」
「それに本当にその壺が、そんなに大した福の神なら、あの葉村の「爺つあん」も、もっと出世していいはずだが、たいして出世もしねえようだね」
「うん、そう云やアその通りだが、そこには曰《いわく》があるんだろう。豚に真珠という格言もあらあ、せっかくの宝も持手が悪いと、ねっから役に立たねえものさ」
「今度は親方が手に入れたんだ、どうかマア旨く役立つといいが」
「役立つとも役立つとも。俺らきっと役立たせてみせる。伝説によるとこの壺は夜な夜な不思議をするそうだ」
「へえ、不思議をね? どんな不思議だろうな」銅助は怪訝な顔をした。
「そいつも今の所わからねえ。この福の神を手に入れてから、まだ一晩も寝て見ねえんだからな」
「そうすると今夜が楽しみですね。小判の雨でも降るかもしれねえ」
 宝壺! 宝壺! ほんとに怪異など起きだすだろうか?
 果然怪異は起こったのであった。
 深夜、壺は音楽を奏した。
 非常に微妙な音楽であった。
 同時に人々は亢奮《こうふん》した。鼬《いたち》が檻を食い破り、主人の喉笛へ喰らい付いた。
 それは決して福の神ではなく、むしろ災難《わざわい》の神であった。
「釜無の文」は喰い殺された。
 次にこの壺を手に入れたのは、文の手下の銅助であった。
「うん、俺は大丈夫だ。きっと福の神にして見せる」
 で、それを枕元へ置き、安らかに眠ったことである。
 すると、音楽が聞こえてきた。彼はにわかに胸苦しくなり、無宙《むちゅう》で飛び起きて駈け廻った。
 そうして柱へ頭を打ちつけ、血を吐いて死んでしまった。
 損をしたのは木賃宿の亭主で、その月の宿賃をフイにした。そこで銅助の持物を一切バッタに売ることにした。
 そこで、その壺と付属地図とはある古道具屋の手に渡った。

 この間に世間は一変し、世は王政維新となり、そうして奠都《てんと》が行なわれた。
 江戸が東京と改名され、大名はいずれも華族となり、一世の豪傑|勝安房守《かつあわのかみ》も、伯爵の栄爵を授けられた。
 ところで義哉《よしや》はどうしたろう?
 義哉は清元の太夫《たゆう》となった。
 ところでお錦《きん》はどうしたろう?
 お錦の身の上にも変化があった。まず許嫁《いいなづけ》の伊太郎《いたろう》が、肺を病んで病没した。そうして大家伊丹屋は、維新の変動で没落した。
 そこで、お錦は自然の勢いで、小堀義哉の女房となった。二人にとってはこのことは、願ってもない幸いであった。勿論|琴瑟《きんしつ》相和した。
 義哉の芸名は延太夫《えんだゆう》と云った。
 即ち清元延太夫《きよもとえんだゆう》である。もとが立派な旗本で、芸風に非常な気品があった。それが上流に愛されて、豊かな生活をすることが出来た。
 貴顕富豪《きけんふごう》に持て囃《はや》され、引っ張り凧の有様であった。
 勝海舟は風流人で、茶屋の女将や相撲取や諸芸人を贔屓《ひいき》にした。
 そこで、延太夫の小堀義哉も、よく屋敷へ招かれた。

28[#「28」は縦中横]

 ある日|延太夫《えんだゆう》は常時《いつも》のように、海舟の屋敷に招かれた。
「時に先生、不思議なことがあります」こう云うと延太夫は懐中から小さい壺を取り出した。「実は小石川の古道具屋で、手に入れたものでございますが、奇怪なことには深夜になると、音を発するのでございます。それが、しかも音楽なので。……」
「ほほう、そいつは不思議だな」こう云いながら海舟は、小さい壺を手に執《と》った。
「別に変った壺でもないが」
 すると座に居た尚古堂《しょうこどう》が「拝見」と云って受け取った。
 尚古堂は本姓を本居信久《もとおりのぶひさ》、当時一流の好事家で、海舟の屋敷へ出入りをしていた。
 じっと壺に見入ったが、
「や、これは仙人壺だ!」驚いたように声を上げた。
「仙人壺だって? 妙な名だな。古事来歴を話してくれ」海舟はこう云って微笑した。
「宋朝古渡りの素焼壺で、吉凶共に著《いちじる》しいもの、容易ならぬ器でございます」尚古堂は気味悪そうに云った。夜な夜な音を発するのは、焼の加減でございまして、質の密度が夜気の変化で動揺するからでございます。これは不思議でございません。ちょうど茶釜が火に掛けられると、松風の音を立てるのと、全く同じでございます。……が、この壺には世にも怪《あや》しい、一つの伝説がまつわって[#「まつわって」に傍点]居ります。よろしければお話し致しましょう」
「聞きたいものだ、話してくれ」海舟も延太夫も膝を進めた。
「では、お話し致しましょう」
 尚古堂は話し出した。

 戦国時代の物語である。
 甲州には武田家が威を揮《ふる》っていた。その頃金兵衛という商人があった。いわゆる今日のブローカーであった。永禄《えいろく》四年の夏のことであったが、小諸《こもろ》の町へ出ようとして、四阿《あずま》山の峠へ差しかかった。そうして計らずも道に迷った。と、木の陰に四五人の樵夫《きこり》が、何か大声で喚《わめ》いていた。近寄って見ると彼らの中《うち》に、一人の老人が雑っていた。襤褸《ぼろ》を纏った乞食風ではあったが、風貌は高朗《こうろう》と気高かった。その老人がこんなことを云った。
「ここに小さな壺がある。が、普通の壺ではない。摩訶不思議《まかふしぎ》の仙人壺だ。そうして俺は仙人だ、嘘だと思うなら見ているがいい。この壺の中へ飛び込んで見せる」
 それから老人は立ち上り、一|丈《じょう》あまりも飛び上った。と、体が細まりくびれ[#「くびれ」に傍点]、煙のように朦朧となり、やがてあたかも尾を引くように、壺の中に入って行った。
「見事々々!」と樵夫どもは、手を叩いて喝采したが、物慾の少ない彼らだったので、そのままそこを立ち去った。
 よろこんだのは金兵衛で「こいつを香具師《やし》に売ってやろう。うん、一釜《ひとかま》起こせるかもしれねえ」壺を抱えて山を下った。
 さてその晩|旅籠《はたご》へ泊まると、早速怪奇が行なわれた。壺が音楽を奏したのである。金兵衛はとうとう発狂した。旅籠の主人は仰天し、この壺を役人へ手渡した。それを聞いたのが勝頼《かつより》で「面白い壺だ、持って来るがいい」
 で、その壺は勝頼の手で大事に保管されることになった。大豪《たいごう》の武田勝頼には、仙人壺も祟《たた》らなかったらしい。いやいや決してそうではなかった。壺は大いに祟ったのである。ある夜壺は音楽を奏した。これが勝頼にはこんなように聞こえた。
「天目山《てんもくざん》へ埋めろ! 天目山へ埋めろ!」
 さすがの勝頼も気味悪くなり、侍臣《じしん》をして天目山へ埋めさせた。
 しかし祟りはそればかりではなかった。
 天正《てんしょう》十年三月における、武田と織田との合戦で、勝頼は散々に敗北した。で止むを得ず僅《わずか》の部下と共に天目山へ立籠った。すると、にわかに鳴動が起こり、壺が地中から舞い上り、同時に天地は晦冥《かいめい》となった。
 勝頼はその間に切腹し、全く武田家は亡びてしまった。
「と、こういう伝説でございますので。……その後手に入れた綱吉《つなよし》公が、将軍職になりましたし、柳沢侯が出世しましたので、幸福の象徴となりましたが、しかし将軍綱吉侯は――大きな声では云えませんが、奥方の寝室《ねや》の中で暗殺され、つづいて柳沢侯は失脚しました。やはりこの壺はそういう意味から云うと、悪運の壺なのでございます」[#「でございます」」は底本では「でございます」]

29[#「29」は縦中横]

 家へ帰って来た延太夫は、早速女房のお錦を呼んだ。
 そうして勝家《かつけ》での話しをした。
「恐ろしい壺でございますことね。で、その壺はどうなさいました」
「伯爵様がお壊《こわ》しなされた。別に変事も起らなかった。ところで地図はどうしたえ?」
「壺に附いていた地図ですね。……ええここにございますわ」お錦は手文庫から取り出した。
「こんな物は焼いた方がいい」
 延太夫は火をつけた。すると、火熱に暖められた地図の面《おもて》へ文字《もんじ》が浮かんだ。
 そこで急いで火を吹き消した。
 こう紙面には記されてあった。
「紫錦《しきん》よ、わし[#「わし」に傍点]は「爺《とっ》つあん」だ。これはお前への遺言だ。そうしてお前はわし[#「わし」に傍点]の子だ。わし[#「わし」に傍点]の本名は藤九郎だ。その頃わし[#「わし」に傍点]は悪党だった。わし[#「わし」に傍点]は宝壺を盗み出した。だが、ちっとも幸福ではなかった。その後|釜無《かまなし》の中洲へ埋めた。そこで改めてお前へ云う、お前はわし[#「わし」に傍点]の実の子だと。女房お半の産んだ子だと。その頃わし[#「わし」に傍点]は諏訪にいた。伊丹屋の借家に住んでいた。その時伊丹屋でも女の子を産んだ。そこで俺は考えた。ひとつ子供を取り代えてやろうと。これは親の愛からだ。お前がわし[#「わし」に傍点]の子である以上は、一生出世はしないだろう。しかし伊丹屋の子となったら、どんな栄華にでも耽ることが出来る。そこで、わし[#「わし」に傍点]は取り代えた。勿論伊丹屋では気が付かず、お染と名を付けて寵愛した。そうして本当の伊丹屋の子は、わし[#「わし」に傍点]らの手で育てようとした。ところが二日目に死んでしまった。さて万事旨く行った。ところが神様の罰があたり、わし[#「わし」に傍点]は迂闊《うっか》りその秘密を「釜無《かまなし》の文《ぶん》」めに話してしまった。文は宝壺をよこせと云った。だがわし[#「わし」に傍点]は承知しなかった。そこで文めは仇をした。お前――即ち伊丹屋のお染を、鼬《いたち》を使って盗み出し、そうしてお前を女太夫に仕込み、そうしてわし[#「わし」に傍点]から身を隠した。わし[#「わし」に傍点]はどんなに探したろう。だが容易に目付《めつ》からなかった。長い年月が過ぎ去った。と、偶然お前に会った。するとどうだろうわし[#「わし」に傍点]の子は、また伊丹屋の養女となって立派に暮らしているではないか。わし[#「わし」に傍点]はすっかり満足した。もうわし[#「わし」に傍点]は死んでもいい。どうぞ立派に暮らしておくれ。……さて例の宝壺だが、これは吉凶《きっきょう》両面の壺だ。悪人が持てば祟《たた》りがあるが、だが善人が持つ時は、福徳円満を得るそうだ。可愛い可愛いわし[#「わし」に傍点]の娘よ、どうぞ心を綺麗に持って、よい暮らしをしておくれ。そうして地図を手頼《たよ》りにして、釜無川の中洲へ行き、宝壺を掘り出すがいい」
 読んでしまうと二人の者は、互に顔を見合わせた。意外な事実に驚いたのである。
「それでは気味の悪かったお爺さんは、妾《わたし》の実の親だったのかねえ?」
 お錦の感慨は深かった。
「そのお父さんはどうしたろう?」
 そのお父さんはとうの昔に、病気でこの世を去っていた。
 そうして現在の二人にとっては、宝壺などは不必要であった。
 なぜというに今の二人は、充分幸福だからである。



底本:「国枝史郎伝奇全集 巻一」未知谷
   1992(平成4)年11月20日初版発行
初出:「太陽」博文館
   1925(大正14)年7月〜12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる
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