兵は脱走した。それを引き止めなければならなかった。
で、この夜もただ一人|府内《ふない》の動静を探ろうとして、こうして歩いているのであった。
20[#「20」は縦中横]
芝口の辻を北へ曲がり安房守《あわのかみ》は悠々と歩いて行った。
下桜田《しもさくらだ》[#「下桜田」はママ]まで来た時であった。ふと[#「ふと」に傍点]彼は足を止めた。その機会を狙ったのであろう、刺客の一人が群を離れ、颯《さっ》と安房守の背後に迫った。
と、突然安房守が云った。
「うむ、日本は大丈夫だ! この騒乱の巷の中で、三味線を弾いている者がある。うむ、曲は『山姥《やまうば》』だな。……唄声にも乱れがない。撥《ばち》さばきも鮮《あざやか》なものだ。……いい度胸だな。感心な度胸だ。人は須《すべから》くこうなくてはならない。蠢動するばかりが能ではない。亢奮するばかりが能ではない。宇内《うだい》の大勢も心得ず、人斬包丁ばかり振り廻すのは人間の屑と云わなければならない。……いい音締だな小気味のよい音色だ」
それは呟いているのではなく、大声で喋舌《しゃべ》っているのであった。背後に迫って来た刺客の一人へ、聞かせ
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