この二カ条が決定された。
旧幕臣は切歯した。慶喜としても快くなかった。会桑《かいそう》二藩は特に怒った。突然十二月十二日の夜慶喜は京都から大坂へ下った。松平|容保《かたもち》、松平|定敬《さだよし》、他幕臣が従った。
こうして起ったのが維新史に名高い伏見鳥羽の戦いであった。明治元年正月三日から、六日に渡って行なわれたのであった。そうして幕軍大いに潰《つい》え、六日夜慶喜は回陽丸に乗じ、海路江戸へ遁竄《とんざん》した。
ここでいよいよ朝廷に於ては、慶喜討伐の大軍を起され、江戸に向けて発することにした。有栖川宮熾仁《ありすがわのみやたるひと》親王を征東大総督《せいとうだいそうとく》に仰ぎまつり、西郷隆盛《さいごうたかもり》参謀、薩長以下二十一藩、雲霞《うんか》の如き大軍は東海東山《とうかいとうざん》、北陸から、堂々として進出した。そうして三月十五日を以て、江戸総攻撃と決定された。
江戸はほとんど湧き返った。旗本八万騎は奮起した。薩摩と雌雄を決しようとした。しかし聡明な徳川慶喜は、惰弱に慣れた旗本を以て、慓悍な薩長二藩[#「薩長二藩」は底本では「薩摩二藩」]の兵と、干戈《かんか》を交
前へ
次へ
全111ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング