条城に群臣を集め、大政奉還の議を諮詢《しじゅん》した。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷へ対して奏聞《そうもん》した。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。つづいて同月二十四日、慶喜は更に将軍職をも、辞退したき旨奏聞したが、これは保留ということになった。
さて一方朝廷に於ては、施政方針を議定するため、小御所《こごしょ》で会議を行なわせられた。中山忠能《なかやまただよし》、正親町實愛《おおぎまちさねなる》、徳大寺實則《とくだいじさねのり》、岩倉具視《いわくらともみ》、徳川慶勝《とくがわよしかつ》、松平慶永《まつだいらよしかげ》、島津義久《しまづよしひさ》、山内容堂《やまのうちようどう》、西郷隆盛《さいごうたかもり》、大久保利通《おおくぼとしみち》、後藤象二郎《ごとうしょうじろう》、福岡孝悌《ふくおかこうてい》、これらの人々が参会した。十二月八日のことであった。その結果諸般の改革を見、翌九日、天皇|親臨《しんりん》、王政復古の大号令を下され、徳川幕府は十五代、二百六十五年を以て、政権朝廷に帰したのであった。
慶喜に対する処置としては、内大臣を辞すること、封土一切を返すべきこと、
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