の重鎮|勝安房守安芳《かつあわのかみやすよし》で、十人の武士は刺客なのであった。
今日の東京の地図から云えば、日本橋区|本石町《ほんごくちょう》を西の方へ向かって歩いていた。室町を経て日本橋へ出、京橋を通って銀座へ出、尾張町の辻を真直ぐに進み、芝口の辻までやって来た。
この間二三度刺客達は、討ち果そうとして走りかかったが、安房守の威厳に搏《う》たれたものか、いつも途中で引き返してしまった。
だが一体何のために勝安房守を殺そうとするのだろう? そうして一体刺客達は、どういう身分の者なのだろう。
それを知りたいと思うなら、当時の歴史を調べなければならない。
慶応《けいおう》三年九月であったが、土佐《とさ》の山内容堂《やまのうちようどう》侯は、薩長二藩が連合し討幕の計略をしたと聞き、これは一大事と胸を痛めた。そこで一通の建白書を作り、後藤象二郎《ごとうしょうじろう》、福岡孝悌《ふくおかこうてい》、この二人の家臣をして将軍慶喜に奉《たてまつ》らしめ、平和に大政を奉還せしめ、令政をして一途に出でしめ、世界の大勢に順応せしめ、日本の国威を揚げしめようとした。そこで慶喜は十月十三日、京都二
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