「失礼ながら、ご令嬢かな?」
「ハイ、娘でございます」
「さようでござるか、それはそれは」
 こうは云ったが愈々益々《いよいよますます》、疑わざるを得なかった。
「それほどの大家の令嬢が、こんな深夜に江戸の町を、あんな片輪者を一人だけ連れて、浅草あたりのあんな家を、どうして訪ねたものだろう? いやいやこれは食わせ物だ。色を売る女であろうもしれぬ」
 しかし間もなくその疑いが杞憂であったことが証拠立てられた。
「あの、ここが妾《わたくし》の家で」
 こう云いながら指差した家が、紛れもなく伊丹屋であったからである。
「あの……」とお錦は云い難そうにしばらくもじもじ[#「もじもじ」に傍点]していたが「いずれ明日改めて、お礼にお伺い致しますがどうぞその時までこの手箱をお預かり下さることなりますまいか」
 こう云いながら差し出したのは「爺つあん」から貰った手箱であった。
「ははあ」と義哉は胸の中で云った。「さては恋文でも入れてあるのだな。あの浅草の古びた家は媾曳《あいびき》の宿であったのかもしれない。大胆な娘の様子から云っても、これは確かにありそうなことだ。とんだ所へ飛び込んだものだ」
 苦笑
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