それを跨《また》ぐとトン公は、楽屋|梯子《ばしご》を下へ下りた。
 暗い舞台の隅の方から、黄色い灯《ひ》の光がボウと射し、そこから口笛が聞こえてきた。
 誰か片手に蝋燭を持ち、檻の前に立っていた。と、檻の戸が開いて、細長い黄色い生物が、颯《さっ》と外へ飛び出して来た。
「おお可《よ》し可し、おお可し可し、ネロちゃんかや、ネロちゃんかや、おお可《い》い子だ、おお可い子だ……」
 口笛が止むとあやなす[#「あやなす」に傍点]声が、こう密々《ひそひそ》と聞こえてきた。フッと蝋燭の火が消えた。しばらく森然《しん》と静かであった。と、暗い舞台の上へ蒼白い月光が流れ込んで来た。誰か表戸をあけたらしい。果して、一人の若者が、月光の中へ現われた。肩に何か停《と》まっている。長い太い尾をピンと立てた、非常に気味の悪い獣《けもの》であった。
 月光が消え人影が消え、誰か戸外《そと》へ出て行った。

「思召《おぼしめ》しは有難う存じますが……妾《わたし》のような小屋者が……貴郎《あなた》のような御大家様の……」
「構いませんよ。構うもんですか……貴女《あなた》さえ厭でなかったら……」
「なんの貴郎、勿体ない
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