が、それがいかにも上手なので、参詣の人の注意をひいた。
 芸人の年輩は不明であったが、四十歳から六十歳迄の間で、左の耳の根元の辺りに瘤のあるのが特色であった、陽にやけた皮膚筋張った手足、一癖あり気の鋭い眼つき、気味の悪い男であった。
「さあさあ太夫《たゆう》さん踊ったり踊ったり」
 手に持っていた竹の鞭で、窃《そっ》と鼬に障わりながら、錆のある美音で唄い出した。
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※[#歌記号、1−3−28]甲州出るときア涙が出たが
今じゃ甲州の風も厭
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 春陽が明々と地を照らしその地上では鳩の群が餌をあさりながら啼いていた。吉野桜が散ってきた。堂の横手芸人の背後《うしろ》に巨大な公孫樹《いちょうのき》が立っていたが、まだ新芽は出ていなかった。鼬の大きさは四尺もあろうか、それが後足で立ち上り、前足をブラブラ宙に泳がせ、その茶色の体の毛を春陽《はるひ》にキラキラ輝かせながら、唄声に連れて踊る態は、可愛くもあれば物凄くもあった。
 投銭放銭がひとしきり[#「ひとしきり」に傍点]降り、やがて芸当が一段落となった。その時目立って美しい娘が供の女中を一人連れ仲見世の
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