であった。
 小屋を出ると伊太郎は、自分の家へ帰って来た。いつも物憂そうな彼ではあったがこの日は別《わ》けても物憂そうであった。
 翌日|復《また》も家を出ると、女軽業の小屋を潜った。そうして紫錦の綱渡りとなると彼は夢中で見守った。
 こういうことが五日続くと、楽屋の方でも目を付けた。
「オイ、紫錦さん、お芽出度《めでと》う」源太夫は皮肉に冷かした。「エヘ、お前|魅《みい》られたぜ」
「ヘン、有難い仕合せさ」紫錦の方でも負けてはいない。「だがチョイと好男子《いいおとこ》だね」
「求型《もとめがた》という所さ」
「一体どこの人だろう?」
「お前そいつを知らねえのか。――伊丹屋《いたみや》の若旦那だよ」
「え、伊丹屋? じゃ日本橋の?」
「ああそうだよ、酒問屋《さかどんや》の」
「だって源ちゃん変じゃないか、ここはお前江戸じゃないよ」
「信州諏訪でございます」
「それだのにお前伊丹屋の……」
「ハイ、別荘がございます」
「おやおやお前さん、よく知ってるね」
「ちょっと心配になったから、実はそれとなく探ったやつさ」
「おや相変らずの甚助《じんすけ》かえ」紫錦ははすっぱに笑ったが「苦労性だね、
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