だ。勝麟太郎《かつりんたろう》、これでいいのだ。つめて云うと勝麟だ。従五位も無用なら安房守も無用だ。勝麟々々これでいいのだ。だがそう云ってはいられない。勝麟では済まされない。世間の奴らが酔っていて、俺一人醒めているからよ。そこで救世と出かけたのだ。厭な役廻りだがしかたがない。扶桑《ふそう》第一の智者と称し、安房の国の旋陀羅《せんだら》の子、聖日蓮《セントにちれん》[#「日蓮」は底本では「日連」]は迫害を覚悟で、世の荒波へ飛び出して、済民《さいみん》の法を説いたではないか。現代第一の智者と云えば、この俺の他にはない。つまり俺は日蓮なのだ。つまり俺は祖師《そし》なのだ。その祖師様を殺そうとは、とんでもない不届者だ。すぐに仏罰を蒙ろうぞ。……ああ、だが、本当に、いい音色だなあ。……」
 春の夜風がそよぎ[#「そよぎ」に傍点]出した。
 手近の木立で小鳥が啼いたが、きっと夢でも見たのだろう。
 なまめかしい春の夜の、甘い空気を顫わせて、艶な肉声と三味線の音とは、なおあざやかに聞こえていた。
 刺客は頭をうな[#「うな」に傍点]垂れた。柄を握っていた右の手は、いつかダラリと下っている。と、一足しりぞいた。それからグルリとむき[#「むき」に傍点]を変えると、もと来た方へ引っ返した。
 その時、安房守は振り返った。
「これちょっと待て、伊庭《いば》八郎!」
「はっ」と云うとその刺客は、足を止めて振り返った。うら若い美貌の武士であり、それは伊庭八郎であった。八郎は父|軍兵衛《ぐんべい》と共に、この時代の大剣豪、斉藤弥九郎《さいとうやくろう》、千葉周作、桃井春蔵《ももいしゅんぞう》、近藤勇、山岡鐡舟、榊原健吉《さかきはらけんきち》、これらの人々と並称されている。身、幕臣でありながら、道場をかまえて門下を養い、心形刀流を伝えたが、直門二千名に及んだという。
 幕臣も幕臣、奥詰めだったので、親衛隊の魁《さきがけ》であり、伏見鳥羽の戦いにも出て、幾百人となく敵を斬った。
 その彼は直情の性格から、同じ幕臣の勝安房守が、いわゆる恭順派の総師として、薩長の士と交渉することを、徳川家のために歯掻く思い、獅子身中の虫と感じ、いっそ暗殺して害をのぞこうと、日頃から画策していたのであったが、この夜いよいよ断行すべく、門下の壮士九人を率い勝安房守の後をつけ、剣を揮おうとしたのであった。
「どうだ、少しは
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