どうどうと所信を貫いた。……俺は義時に則《のっと》ろうと思う。日本安全のそのためには、小の虫を殺し大の虫を助け、敢て賊子《ぞくし》に堕ちようと思う。……どだい薩長と戦って、勝てると思うのが間違いだ。いかんともしがたいは大勢だ。社会の新興勢力は、どんなことをしても抑制出来ぬ。王政維新は大勢だ。幕府から人心は離れている。それはもう旧勢力だ。利益のなくなった偶像だ。徳川の天下も二百六十年、そろそろ交替していい時だ。偶像を拝《おが》むのは惰性に過ぎない。こびり[#「こびり」に傍点]付くのは愚の話だ。新時代を逃がしてはいけない。日本を基礎にした世界主義! 国家を土台にした国際主義! これが当来の新思想だ。仏蘭西《フランス》を見ろ仏蘭西を! ナポレオン三世の奸雄《かんゆう》振のいかに恐ろしいかを見るがいい! 日本の国土を狙っているのだ。内乱に乗じて侵略し、利権を得ようと焦心《あせ》っているではないか。それだけでも内乱を止めなければならない。……第一江戸をどうするのだ。罪のない江戸の市民達を。兵戦にかけて悔いないのか。いやいやそれは絶対にいけない。江戸と市民は助けなければならない。そうして徳川の大屋台と慶喜公とは助けなければならない。……どいつもこいつも血迷っている。醒めているのは俺だけだ。俺がそいつらを助けなかったら、一体誰が助けるのだ。俺を絶対に殺すことは出来ぬ。殺したが最後日本は闇だ。……官軍の中にも解《わか》る奴がいる。他でもない西郷だ。西郷吉之助ただ一人だ。で俺はきゃつに邂逅《ゆきあ》い、赤心を披瀝して談じるつもりだ。解ってくれるに相違ない。そこで江戸と江戸の市民と、徳川家と慶喜公とは、助けることが出来るのだ。その結果内乱は終息し、日本の国家は平和となり、上下合一、官民一致、天皇帰一、八|紘《こう》一|宇《う》、新時代が生れるのだ」
21[#「21」は縦中横]
安房守《あわのかみ》[#ルビの「あわのかみ」は底本では「あはのかみ」]はじっと耳を澄ました。
空では星がまばたい[#「まばたい」に傍点]ていた。ふと[#「ふと」に傍点]小銃の音がしたが、しかしたった[#「たった」に傍点]一発だけであった。
清元《きよもと》の唄はなお聞えた。
「ああいいなあ。名人の至芸《しげい》だ」安房守は嘆息した。それから大声でやり出した。「俺はもとからの江戸っ子だ。俺の好きなのは平民
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