中横]
左と右は板壁で、出入口らしいものは一つもなく。[#「。」はママ]ただ正面に古びた家が、戸口を向けて立っていた。
「ああ、あの家へ入り込んだな」
こう思った彼は走り寄ると、躊躇なく表戸へ手を掛けた。すると意外にもスルリと開いた。内へ入って見廻すと、空家と見えて人影もなく、家具類さえ[#「さえ」は底本では「さへ」]見あたらない。
裏にも一つの出入口があって、その戸がなかば[#「なかば」に傍点]開いていた。
「うん、あそこから抜け出したのだな」
で、彼はその口から、急いで外へ出ようとした。すると、その戸がにわかに閉じ、閂《かんぬき》を下す音がした。
「しまった!」と叫ぶと身を翻えし、入って来た口から出ようとした。するとその戸も外から閉ざされ、閂のかかる音がした。
もう出ることは出来なかった。彼は監禁されてしまった。
こんな場合の彼の心に、よくあてはまる[#「あてはまる」に傍点]形容詞といえば「茫然」という文字だろう。実際彼は茫然として、暗黒の家内に突立っていた。
しかしいつまでも茫然として、突立っていることは出来なかった。抜け出さなければならなかったし、追っかけなければならなかった。いやいやそれよりこうなってみれば、先ず何より自分自身の、安全を計らなければならなかった。
「戸を破るより仕方がない」そこで彼は全力を集め、裏戸へ体をぶっつけた[#「ぶっつけた」に傍点][#「ぶっつけた」は底本では「ぶつっけた」]。
途端に人声が聞こえてきた。
「こっちでござる。お入りなされ」
ギョッとして四辺《あたり》を見廻すと、一筋の火光が天井から、斜に足許へ射していた。二階から来た燈火《あかり》である。ぼんやりと梯子段も見えている。その梯子段の行き詰まりに、がんじょうな戸が立ててあり、それが細目にあけられた隙から火光が幽《かすか》に洩れていた。
「それでは空家ではなかったのか」こう思うと彼は心強くなった。それと同時に案内も乞わず、他人の家へ入り込んだことが、申し訳なくも思われた。
「こちらへ」
という声が聞こえた。
そこで彼は階段を上った。
思わず彼はあっ[#「あっ」に傍点]と云った。二階の部屋の光景が不思議を極めていたからであった。そこには十人の男がいた。一人は按摩、一人は瞽女《ごぜ》、もう一人は琵琶師、もう一人は飴屋、更に、居合抜に扮したもの、更に独楽
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