「うむ」と呻いた小一郎は、グッと懐中へ手を入れたが、その手を抜くと空高く、投げた! 何かを! 黒々と!
 蝶だ! クルクルと月光を縫い、舞い去ろうとする! 舞い去ろうとする! とたんに女が進み出た。ポンと投げたは袋様の物で、ベッタリ地上へへたばる[#「へたばる」に傍点]と、何んと生あるもののように、ムクムクと背中を持ち上げ[#「持ち上げ」に傍点]たではないか。続いて開いたは大きな口だ。と、そこからスラスラと、一筋の白布が濛気のように、空に向かって巻き上がったが、飛び去る蝶を追っかけた。
 何んという卑怯だ、その一刹那に、南部集五郎は声も掛けず、翻然と小一郎へ躍りかかった。
「こやつ!」と叫んで小一郎は、キワドク受けは受けたものの、足を辷らせザンブリと南無三! 南無三! 大川へ落ちた。

 シ――ンと岸上静かである。南部の一味立ち去ったらしい。
 もがいているのは小一郎で、今や溺れようとしているのであった。小一郎は水練には達していた。しかし全身|疲労《つか》れていた。転落する時腕を挫《くじ》いた。で、泳ぐことが出来ないのである。
「無念、死ぬのだ、もう駄目だ!」
 沈んでは浮かび、浮かん
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