た。

        九

 木精《こだま》の森を踏み分け踏み分け、一式小一郎は歩いている。
「一ツ橋家の武士達より、どうともして先に昆虫館を、目付《めつ》け出さなければ意地が立たない。だがどうにも歩きにくいなあ」
 喬木がすくすくと聳えている。枝葉が空を蔽うている。昼だというのに陽が射さない。四方《あたり》が宵のように薄暗い、灌木や蔓草が茂っている。それが歩く足を攫《さら》おうとする。巨大な仆《たお》れ木が横仆《よこた》わり、それがやっぱり足を止める。丘のような大岩が転がっている。所々に古池がある。突然飛び出したものがある。純白の兎の群である。サラサラと枝を渡るものがある。幾匹かの野生の猿である。カーッ、カーッと啼くものがある。鳥のようでもあれば獣のようでもある。季節は一月、所は大森林、凍りつくばかりに冷々《ひやひや》する。ヒューッ、ヒューッと風の音がする。梢を渡っているのだろう。だが樹が密生しているためか、森の中には吹き込んで来ない。地面は凍てついてるらしい。その上を腐葉が蔽うている。で、ズボズボと足がはいる。
 一式小一郎は傾斜面を、ズンズン上へ上がって行く。気が忙《せ》くので
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