建物が一つ立っている。
「まずあれ[#「あれ」に傍点]から探ってみよう」
 そこでソロリと立ち上がり、小一郎は忍びやかに歩き出した。
「役目は終えたというものさ」不意に人声が聞こえて来た。いかつい[#「いかつい」に傍点]男の声である。
「有難い役目ではなかったよ」これはゾンザイな声であった。
「美人誘拐というのだからの」
「それもさ」ともう一人の声がした。「口を開かせて秘密を云わせ、云わせた後では南部氏が、手に入れようというのだからの」
 三人の人影が現われた。
「あれほどの美人を手に入れる、ムカムカするの、うらやましくもある」
「詰所へ帰って酒でも飲もう」
 三人ながら武士であった。広大な庭の反対側に、別の建物が立っていたが、そこが彼らの詰所と見える。木立を縫って築山を越して、小一郎が窺っているとも知らず、庭下駄の音をゆるやか[#「ゆるやか」に傍点]に立て、三人そっちへ歩いて行く。
 こいつを聞いた一式小一郎が、怒りを心頭に発したのは、まさに当然というべきであろう。
「さては桔梗様を攫ったのは、南部集五郎の一味だったのか。憎い奴らだ、どうしてくれよう」
 平素《ふだん》は思料深い小一
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