ように、衰死したかが不思議だというのさ」
「恋病《こいわずらい》だあね、それで死んだのさ」
「そうチョロッかに片付るなら、辻切の方だって片がつく、切りっぱなしで消えたんだとね。……だがそれだけでは済むまいぜ、俺等の商売からいく時はね」
「十年前の出来事じゃァねえか」
「ところがお前そうじゃァないんだ、俺等の仲間で競争的に、その謎解きにかかっているのさ」
「へえ、そいつァ物好きだなあ」岡八一寸眼を見張った。「初耳だよ、そんな話は」
「お前は一人で高くとまり、俺等とあんまりつきあわないからさ」
「それにしても暇の連中だなあ、この小忙しい浮世によ」
「そこで連中はいっているのさ。岡八兄貴なら解けるだろう。もし又こいつ[#「こいつ」に傍点]が解けねえようなら、岡八なんかとはいわせねえとね」
「えらく[#「えらく」に傍点]皆に憎まれたものだな」岡八ニヤリと笑ったが、どうしたものか膝を打った。それからヒョイと※[#「ぼう+臣+頁」、第4水準2−92−28]《おとがい》をしゃくった。「よし来た、それじゃァ解いてみせよう!」
「え、本当か! そいつァ豪勢だ!」
「しかも、きっと今日明日の中にな」
四
半九郎が帰ると岡引の岡八、フラリと皆川町の家を出た。
「いや、いい話を耳にした、お縫様屋敷もさることながら、こっちの事件に役立ちそうだ。棚からぼた餅といわれているが、何んの当世棚を覗いたってぼた餅なんかァありそうもねえが、今日はそいつにありついたってものさ、そうはいっても俺の考え、間違っていりゃァ別だがな」
押し詰った十二月の中旬真昼。歩いている人間が足ばかりに見える。そんなにも急がしく歩いている。そうかと思うと眼ばかりに見える。そんなにもキョロキョロあわただしい。天気はよいが風は強い家々の暖簾《のれん》が刎《は》ねている。
賑かな町通りへやって来た。
「よしこの辺から探してやろう」
「ごめんよ」といって這入ったのは、店附の立派な古物商。
「へい、いらっしゃい」と小僧の挨拶、そんなものへは返辞もせず、ズンズン奥へ通って行った。
主人であろう、皮肉そうな爺が、獅噛《しがみ》火鉢にしがみついている。
「へい、いらっしゃい」と上眼をした。冷かし客か買う客か、上眼一つで見究わめるらしい。
「染吉の朱盆ありますかえ?」
「へ、染吉?」ときき返したが「お生憎さまで、ございませんねえ」
「ぜひほしいんだが目っけてくれまいか」
岡八店先へ腰をかけ、平気で火鉢へ手をかざした。
「ありゃァ滅多に手に入りませんよ」
「いうまでもなく承知だがね、だから一層ほしいのさ」
「あったにしてからが大変な値段で」
「値切りゃァしないよ。大丈夫だ」
「へい、そりゃァまあ、旦那のことですから」
こういいながらも笑っている。相手にしないという恰好である。当然かも知れない。この時岡八、普段着の姿でやって来た。唐桟《とうざん》の半纏《はんてん》というやつである。そうして口調は伝法だ。だが、もし主人の眼が利いて、その懐中に取縄があり、朱総の十手があると知ったら、丁寧な物いいをしただろう。まして岡八と感づいたら[#「感づいたら」は底本では「感ずいたら」]、茶ぐらい出したに相違ない。
年が三十五で小作りで、むしろ痩ぎすの岡八は、決して堂々たる仁態ではなかった。
「一体どのくらいするものだな?」岡八チョイと気をひいてみた。
「値段があって、ないようなもので」
「まさか百両とはしねえだろう?」大きな所を吹いてみた。
「そうばっかりもいわれませんよ」主人例によって冷淡である。「お噂によると雲州様では、百五十金でもとめられたそうで」
「ふうん」といったが少し参った。「成る程それではこの爺、俺を相手にしねえ筈だ」
「だが、それにしても値が出たなあ、たかだかお前染吉といえば、十年前の職人じゃァないか」
「初《はな》から数が少ないんで」
「江戸中に一体幾つあるんだろう?」
「日本中に三十とはありますまい」
「ふうん」と又も参ってしまった。「そんなに数がねえのかなあ」
「ひどく若死にをしましたのでね」
「その死に方も変だったそうだな」
「よくご存知で、衰死したそうで」
「縁起でもなく死んだものだな」
「だから一層値が出ました」
「それは一体どういう訳だ?」
「すべて数寄者という者は、箔のついたものを好みますからな」教える[#「教える」は底本では「数える」]ような態度である。
「箔にもよりけり、縁起でもねえ箔だ」
「当今死に絵さえ、はやっております」
「うん、成程」と、又参った。
「こいつァ初手から駄目らしいぞ」岡八しょげざるを得なかった。「ぼた餅は棚にはなかったよ」
あきらめて立とうとした時である。一人の女が這入って来た。
小紋縮緬の豪勢なみなり[#「みなり」に傍点]、おこそ[#「おこそ」に傍点]頭巾を冠っているので、顔はハッキリ解らなかったが、たしかに大変な美人らしい。眼が非常に美しい。……非常どころか、とても美しい。……というより寧ろ凄いようだ。魅力! 全くそのもののようだ。
「いらっしゃい」と主人、現金な奴だ、揉み手までしてお辞儀をした。「毎々ごひいき[#「ごひいき」に傍点]にあずかりまして」だが、こいつはお世辞らしい。
「染吉の朱盆、ございましょうか?」
そうその女がいったものである。
岡八、当然びっくりした。
「はてな、こいつ面白くなったぞ」
で、わざと立ち上がり、店の品物をひやかす[#「ひやかす」に傍点]ようにして、女の様子をうかがった。
五
古物商の主人と女客との会話は、ざっと次ぎのように運んで行った。
「ああ染吉でございますか、へい、ないこともございませんが」
「只今お店にございましょうか?」
「いえ店にはございませんが……心あたりにはございます。……もし何んなら取り寄せて」
「ぜひお願いいたします。幾枚ぐらい手に入りましょう?」
「さようでございますな、三枚ぐらいでしたら……」
「費用はいくらでも構いません、沢山ほしいのでございますよ」
「へい、しかし、三枚以上は……」
「では三枚お願いしましょう。……で、値段は? 一枚の?」
「二十五金ほどでございましょうか」
「では手附を、半分だけ」
「四十金? で……。これはどうも……へい、へい確にお預かりしました。……ええと所で、お住居は?」
「私、いただきに参ります」
「はい、左様で……。これは受取」
「いつ頃参ったら、ようございましょう?」
「さようでございますな……二三日ご猶予……」
「それではよろしく」
「かしこまりました」
で、女は店を出た。
怒ってしまったのは岡八である。
「馬鹿にしゃァがる! 一体何んだ!」心で毒吐いたものである。「みなり[#「みなり」に傍点]が悪いとこんな目に会う。百五十両だと吹っかけて置いて、二十五両だっていやあがる。ないといいながら三枚がところ、心あたりがあるというちきしょう[#「ちきしょう」に傍点]本当に張り倒してやるかな。……そうはいっても俺の手には、二十五両でも這入りそうも[#「這入りそうも」は底本では「遍入りそうも」]ないなあ。……それにしても一体あの女、何んで染吉の朱盆ばかり、そんなにも沢山ほしがるんだろう?」
フラリと岡八往来へ出た。すぐ眼の前を女が行く。尾行るという気もなかったが、矢っ張り後をつけて行った。出たところが神保町、店附の立派な古物商があった。
女が這入って行くではないか。
「おや」と思いながら岡引の岡八、つづいて店へ這入って行った。
主人と女客との応待は、全く以前と同じであった。
「染吉の朱盆、ございましょうか」
今はないが取り寄せようという。
そこで女が手附を払い、受取をとって立ち去ったのである。
「これはおかしい」と岡引の岡八、本式に女をつける気になった。「まるでこのおれの邪魔をしているようだ。先へ廻って染吉の朱盆を、かっ浚《さら》おうとでもしているようだ。曰くがなければならないぞ」
神保町から一つ橋、神田橋から鎌倉河岸、それから斜《なな》めに本石町へ出、日本橋通を銀座の方へ、女はズンズン歩いて行く。だから、もちろん、岡八も歩いて行かなければならなかった。
無暗と女は歩くのではなかった。目星しい古物商があると、軒別に這入って訊くのであった。
「染吉の朱盆、ありましょうか?」
あるといえば手金を打ち、買取る約束をするのであった。
実際のところ染吉の朱盆は、極めて数が少ないと見え、昼からかけて夕方までに、そうやって女が約束した数は近々五枚に過ぎなかった。尾張町まで来た時である、ふと女は足を止めた。
「またあったかな、古道具屋が?」
岡八、見廻したが古道具屋はない、江戸で名高い錦絵の問屋、植甚というのがあるばかりであった。
店先に錦絵が並べてある。沢山の武者絵や風景画や、役者の似顔絵や、美人画など……それを女は見ているのであった。
「朱盆が錦絵に変ったかな?」
変に思った岡引の岡八、成るだけ女に気取られないように、自分も店先を覗いてみた。
素晴らしい一枚の死絵がある。
どうしたものか、それを見ると「うむ!」と岡八唸るようにいった。で女の横顔を見た。何んて微妙な微笑なんだろう? 皮肉で残忍で嘲笑的で、そうして、しかも満足したような、そういったような薄笑いが、女の顔にあるではないか? 眼は死絵を見詰ている。
「やっと前途が明るくなった。俺の見込みは狂わなかった」
岡八呟いたものである。「よし、こうなりゃァこの女の住居。どんなことをしても突き止めなけりゃァならねえ」
その時女が歩き出した。
足早に歩いて行くところを見ると、いよいよ家へ帰るらしい。
上野山下まで来た時には、すでに宵を過ごしていた。足に自信があると見え、女は駕籠へ乗ろうとさえしない。
六
「大金を持っているだろうに、こんな夜道を女一人で、この押詰った師走空を、恐れ気もなく歩くとは、とても度胸は太いものだ。いよいよ並の阿魔ッ子じゃァねえな」
ますます不審が強まって来た。
車坂の方へ歩いて行く。で岡八も、つけて行く。
養善寺のそばから道が別れる。左へ行けば鶯谷、右へ行けば阪本である。
何んと女は昼も物凄い鶯谷の方へ行くではないか、
「こいつはどうも大胆だなあ。こうなると俺も考えなけりゃならねえ」
足をとめたのは、さすがの岡八も、薄っ気味が悪くなったのだろう。
女はズンズンあるいて行く。直と藪蔭に消えてしまった。
「いけねえ、つけよう、どんなことをしても、たかが女だ、大事はあるまい……」
で直に追っかけた。
藪が左右を蔽うている。大木が空を遮っている。昼も薄暗い場所である。今は真の闇で、星さえ見えない。女の足音が遠くでする。
藪の底まで来た時であった。岡八、何かに躓いた。たじろいた所[#「たじろいた所」に傍点][#「たじろいた所」はママ]を人間の手が、グイと首根ッ子を抑えつけた。
ギョッとはしたがそこは岡引、スルリと抜けると前へ飛んだ。
「どいつだ」と叫んだものである。
もちろん姿は見えなかった。しかし商売柄感覚でわかる、たしかに五、六人の男がいる。じっと、こちらを狙っている。
「とうとうこいつ[#「こいつ」に傍点]えらいことになったぞ」懐中へ手をやるとスルリと十手、引出して頭上へ振上げた――来やがれ、ミッシリ、くらわせてやるから! こう決心をしたのである。
「オイ若いの」しばらくの後だ、闇の中から声がした。「じたばたするな、ついて来い! 悪い所へ連れては行かない。途法もねえいい所へ連れて行く。眼の眩むようないい所へな!」
濁った不快な声である。
岡八返事をしなかった。出で入る気息をじっと調べ、飛び込んで来るのを待っていた。
「来るな」と思った一刹那、果して一人飛びかかって来た。ガンと一つ! 狂いはない! 手練の十手だ、眉間《みけん》を撲った。
「むっ」といううめき! 倒れる音! 後はシーンと静かである。
岡八ソロリと位置を変えた。
「鳥渡手強い」とつぶやく声、闇の中から聞えて来た。例の濁っ
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング