の手に這入り、短冊の文字を集めると、
「恋すてふ、我名はまだき、立ちにけり、人しれずこそ」
 となったのである。
 令嬢の名は縫様、以来お縫様憂鬱になった。
 四枚の朱盆を前へ並べ、こんな独言をいうようになった。
「ああもう一枚ほしいものだ。そうするとすっかり揃うのに。――恋すてふ我名はまだき立ちにけり人知れずこそ……足りないわねえ。『思ひそめしが』ともう一句、それを記した盆がほしい。それにしても、どうして私の屋敷へ、こんなにも立派な四枚の盆を、誰が何のために投げ込んだのだろう? ――そうしてあの男は何者だろう? 盆の有無しを確めに来ては、持っても行かずに行ってしまう。不思議な眼つきで私を見る」
 もう一枚の盆に対する、執着の念が深くなった。
 そこで、とうとう蒔絵師を呼んだ。
「こんな朱盆ははじめてみます。この朱色は無類です。どんな顔料を使いましたやら。塗も蒔も同じ手です。これも素晴らしゅうございます。私など真似も出来ません。だが作り手は知れています。日本に蒔絵師は沢山あっても、これ程の物を作る者は、染吉のほかにはございません。……ああ染吉でございますか? 谷中の奥に住んでおります。
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