たのであった。
「岡目で見りゃァ直《すぐ》判《わか》りまさあ、古井戸の中は暗くてね、死人の形がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と、やっと見えるくらいのものだったんで、一目覗いて亭主だなんて、どうして判りっこがあるものですかい。殺して置いてぶち込んだんで」
或家でかんざし[#「かんざし」に傍点]を盗まれた。戸外から入り込んだ形跡はない。二人の下女が疑わしかった。そこで岡八、青麦を二本、二人の下女へやったものである。
「正直者の麦はそのままだが、不正直者の麦は長くなる。明日の朝までに一寸が所な」
翌日調べると一本の麦は自若、一人の下女の持っていた麦が、一寸がところ摘切られてあった。
「そいつが詰り盗人だったんで、下女なんてものは無知なもので、そんな甘手にさえひっかかりますよ。ほんとに延びると考えて、一寸がところ摘んだんでさあ」
さてその岡八だが、最近に至って、一つの難事件にぶつかってしまった。
いい若者が無暗とさらわれ、十数日たつと送り返されて来る。その時はすっかり衰弱している。どうしたと尋ねても真相をいわない。そうして、おまけに、いうのである。
「ああもう一度あそこ[#「あそこ」に傍点]へ行きたい」
そうして間もなく死んでしまうのである。
時世は慶応元年で、尊王|攘夷《じょうい》、佐幕開港、日本の国家は動乱の極、江戸市中などは物情騒然、辻切、押借[#「辻切、押借」は底本では「辻切押借」]、放火、強盗、等、々、々といったような、あらゆる罪悪は行われていたが、岡八のぶつかった難事件のようなそんな事件は珍しかった。
「さらわれた先をいわないというのが、何より変梃《へんてこ》で[#「変梃《へんてこ》で」は底本では「変挺《へんてこ》で」]見当がつかない」
全く見当がつかなかった。
で、この日頃ムシャクシャしていた。
そんな気も知らずに半九郎奴、十年前の古事件、お縫様屋敷の物語りを、面白くもなく、しゃべり立て謎を解いて見ろというのである。
「で、何かい」と岡八はいった。「その古々しい因果物語りが、はやり出したというのかい?」
「ああそうだよ」と半九郎。「銭湯へ行っても髪結床へ行っても、専《もっぱ》らそいつが評判なのさ」
「で、何かい」と、また岡八「四人までも切った侍が、其まま解らずに消えたのが、面妖だっていうのかい?」
「それからどうして染吉が、燈心の火が消える
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