差上げようと、この日頃苦心しているのですが、とても望みは遂げられますまい。まあ見て下さい。この体を! すっかり痩せて衰えて、骨と皮ばかりになりました。実は私はその盆と一しょに、心を捧げようと思っていたので。ああそうです、お嬢様へ……思いそめしが! 思いそめしが!』……お嬢様どうやら染吉は死んでしまいそうでございますよ」
 果して名工染吉は、その後間もなく死んでしまい、お縫様も間もなくなくなって[#「なくなって」は底本では「なくって」]しまった。なくなる間際までお縫様は、最後の盆をほしがった。で、口癖のようにいったそうである。
「思いそめしが、思いそめしが」

「ね、兄貴、話といえば、ざっとこういったものなのさ」
 話し終えた岡引《おかっぴき》の半九郎は、変に皮肉に笑ったものである。
「成る程[#「成る程」は底本では「成る程。」]」といったのは岡八である。
「大して面白い話でもないな」
「どうしてだい、面白いじゃァないか」
「古いありきたり[#「ありきたり」に傍点]の因果物語りさ」
「そうばかりもいわれないよ、遺跡《あと》がのこっているのだからな」
「おおお縫様の屋敷跡か」
「そっくりそのまま残っているのさ」
「住人がないとかいったっけね」
「草茫々たる化物屋敷さ」
「根岸附近だとかいったっけね」
「そうだよ」と半九郎うなずいた。それからまたも変に皮肉に、盗むような笑いを浮かべたが、
「どうだい兄貴、謎が解けるかね?」
 それには返辞をしなかったが、
「十年前の話なんだな?」
「安政二年の物語りさ」

     三

 岡八というのは綽名《あだな》である。
「一つの事件をあばこうとしたら、渦中へ飛び込んじゃいけないよ。いつも傍から見るんだなあ。渦の中へ一緒に巻き込まれようなものなら、渦を見ることが出来ないからなあ。ほんとに岡目八目さ」
 これがこの男の口癖である。その本名は綱吉といい、非常に腕っこきの岡引であった。
 一つ二つ例を挙げてみよう。
 一人の女が訴え出た。
「夫が家出をして帰りません」と。
 数日たって女の隣人が、井戸に死人があると訴え出た。
 その女も走って行った。井戸を覗くと叫んだものである。「私の夫でございます」
 そこで岡八が一喝した。
「人殺しは手前だ! ――ふん[#「ふん」に傍点]縛れ!」
 果してその婦《おんな》と情夫とが、共謀して良人を殺し
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