フラリと岡八往来へ出た。すぐ眼の前を女が行く。尾行るという気もなかったが、矢っ張り後をつけて行った。出たところが神保町、店附の立派な古物商があった。
 女が這入って行くではないか。
「おや」と思いながら岡引の岡八、つづいて店へ這入って行った。
 主人と女客との応待は、全く以前と同じであった。
「染吉の朱盆、ございましょうか」
 今はないが取り寄せようという。
 そこで女が手附を払い、受取をとって立ち去ったのである。
「これはおかしい」と岡引の岡八、本式に女をつける気になった。「まるでこのおれの邪魔をしているようだ。先へ廻って染吉の朱盆を、かっ浚《さら》おうとでもしているようだ。曰くがなければならないぞ」
 神保町から一つ橋、神田橋から鎌倉河岸、それから斜《なな》めに本石町へ出、日本橋通を銀座の方へ、女はズンズン歩いて行く。だから、もちろん、岡八も歩いて行かなければならなかった。
 無暗と女は歩くのではなかった。目星しい古物商があると、軒別に這入って訊くのであった。
「染吉の朱盆、ありましょうか?」
 あるといえば手金を打ち、買取る約束をするのであった。
 実際のところ染吉の朱盆は、極めて数が少ないと見え、昼からかけて夕方までに、そうやって女が約束した数は近々五枚に過ぎなかった。尾張町まで来た時である、ふと女は足を止めた。
「またあったかな、古道具屋が?」
 岡八、見廻したが古道具屋はない、江戸で名高い錦絵の問屋、植甚というのがあるばかりであった。
 店先に錦絵が並べてある。沢山の武者絵や風景画や、役者の似顔絵や、美人画など……それを女は見ているのであった。
「朱盆が錦絵に変ったかな?」
 変に思った岡引の岡八、成るだけ女に気取られないように、自分も店先を覗いてみた。
 素晴らしい一枚の死絵がある。
 どうしたものか、それを見ると「うむ!」と岡八唸るようにいった。で女の横顔を見た。何んて微妙な微笑なんだろう? 皮肉で残忍で嘲笑的で、そうして、しかも満足したような、そういったような薄笑いが、女の顔にあるではないか? 眼は死絵を見詰ている。
「やっと前途が明るくなった。俺の見込みは狂わなかった」
 岡八呟いたものである。「よし、こうなりゃァこの女の住居。どんなことをしても突き止めなけりゃァならねえ」
 その時女が歩き出した。
 足早に歩いて行くところを見ると、いよいよ
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