赤坂城の謀略
国枝史郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)正成《まさしげ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)七郎|正季《まさすえ》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]
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一
(これは駄目だ)
と正成《まさしげ》は思った。
(兵糧が尽き水も尽きた。それに人数は僅か五百余人だ。然るに寄手《よせて》の勢と来ては、二十万人に余るだろう。それも笠置を落城させて、意気軒昂たる者共だ。しかも長期の策を執《と》り、この城を遠征めにしようとしている。とうてい籠城は覚束ない)
そこで、正成は将卒をあつめ、しみじみとした口調で申し渡した。
「この間は数箇度《すかど》の合戦に打ち勝ち、敵を亡ぼすこと数を知らず、正成くれぐれも有難く思うぞ。が、敵大勢なれば物の数ともせず、囲みを解いて去るべくも見えぬ。然るに城中はすでに食尽き、援兵《えんぺい》の来る望みもない。……元来天下の衆に先立ち、草創《そうそう》の功を志す以上、節に当り義に臨んでは、命を惜《おし》むべきではない。とはいえ事に臨んで恐れ、謀《はかりごと》を好んで為すは勇士の為すところと、既に孔夫子も申しておる。されば暫くこの城を落ちて、正成自害したる態になし、敵の耳目を一時眩まそうと思う。……正成自害したりと思わば、関東勢さだめて喜びをなし、下向するに相違ない。下らば正成打って出で、また上らば山野にかくれ、四五回東国勢を悩まさんか、彼等といえども退屈するであろう。この時を以て敵を殲滅《せんめつ》するこそ妙策!」
これを聞くと将卒共はしばらくの間は、言葉も出さず黙っていたが、やがて口々に云い出した。
「君公《きみ》の謀計《はかりごと》にござりまする。粗略あろうとは存じられませぬ」
「早々御落去なさりませ」
「再挙の時こそ待ち遠しゅうござりまする」
そういう将卒の顔には、何等の憂《うれい》の影もなかった。
我等が信ずる多門兵衛様が――日本の孔明《こうめい》、張良《ちょうりょう》が、城を開こうとするのである。開くべき筋があればこそ、こうして城を開くのであって、尋常一様の落城ではない。――という考えがあるからであった。
(では)
と正成は決心し、城の落ちる日を心待ちに待った。
その間に正成は士卒を督し、城中に大なる穴を掘らせ、堀の中にて討たれた死人の中、二三十人ばかりを持ち来たしその穴の中へ埋没《まいぼつ》させ、その上に炭《すみ》薪《たきぎ》を積み重ねさせた。
と、幸いにもその翌々日、風雨はげしく荒れた。
(時こそ来たれり)
と正成は思い、この赤坂城にそれ以前から、お籠《こも》りあそばされた護良親王様《もりながしんのうさま》を、まず第一に落し参らせ、つづいて将卒を落しやり、火かくる[#「火かくる」に傍点]者一人をとどめ置き、舎弟の七郎|正季《まさすえ》や、和田正遠等を従えて、自身も蓑笠《みのかさ》に身をやつし、ひそかに城を忍《しの》び出た。
それとも知らない寄手の勢は、陣屋陣屋の戸をとざし、この吹降りには城兵といえども、よもや夜討などかけまいと、安心しきって眠っていた。
と、正成たちは忍びやかに、寄手の陣屋の前を通り、千早の方へ潜行した。
「誰だ!」
と突然声がかかった。
寄手の大将長崎|四郎左衛門尉《しろうざえもんのじょう》、この人の陣屋の厩《うまや》の前に、さしかかった時であった。
流石《さすが》に正成もハッとしたが、
「これは大将御内の者でござるが、道に踏み迷うてかくの通り」
と、早速に云い放して足を早めた。
「怪しい曲者」
「射て、討ちとれ!」
声に応じて弦鳴《つるな》りがし、正成の左臂に矢があたった。
(南無三宝)
と正成は思った。
が、不思議にも矢が立っていない。
(はてな?)
と思いながら数町走り、そこで初めて臂を調べてみた。
日頃信じて読誦《どくじゅ》し奉る、観音経を入れた守袋に、矢の立った痕《あと》があらわれていた。
(神仏の加護)
と正成は思った。
(神の界に属しまつる宮方に、お味方仕るこの正成に、神仏の加護あるは必定か、それにいたしても忝《かたじ》けなし)
こう思わざるを得なかった。
二十町あまりも落ちのびた時、今まで籠城していた赤坂城に――寄手の関東勢二十余万人を、釣塀《つりべい》、投大木、熱湯かけ[#「かけ」に傍点]で、防ぎ苦しめた赤坂城に、焔《ほのお》が高く上ったのが見えた。
(穴の中の死骸の焼けたのを見て、正成自害したと思うであろうよ)
二
一里あまりも落ちのびた時、行手に数人の人影が見え
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