、
「多門兵衛か」
と声がかかった。
「これは宮様にござりまするか」
然う、そこにお立ちになられたは、いつか山伏風に身をやつされ、その上を蓑笠で蔽《おお》いあそばされた、大塔宮護良親王様と、同じ姿の七人の家来、村上彦四郎義光や、平賀三郎や片岡八郎等であった。
「御武運ひらきますでござります」
云い云い正成は守袋を取り出し、敵に射かけられた矢が身にあたらず、これにあたったことをお物語りした。
「神仏は神仏を信ずる者にのみ、そのあらたかの加護を与うるものじゃ。……人君《じんくん》に忠節を尽くす者は、その全き同じ至誠を以て、神仏を信じ崇《あが》めるものじゃ」と、親王様には厳《おごそ》かに仰せられた。「正成、そちに神仏の加護ある、当然至極のことと思うぞ」
深い感動が人々の心に、一瞬間産まれ出た。
四辺《あたり》の木立を揺がすものは、なお止まない雨と風とであり、闇夜を赤く染めているものは、燃えている赤坂城の火の光であった。
その火の光を眺めては、さすがに正成の心中にも、感慨が湧かざるを得なかった。
河内《かわち》の国の一豪族の身が、一天万乗の君に見出され、たのむぞよとの御言葉を賜《たま》わった。何んたる一族の光栄であろう。尽忠の誠心を披瀝して、皇恩に御酬い致さねばならぬ。こう、ひたむきに決心した。功名も望まず栄誉も願わず、遠祖《えんそ》橘諸兄公《たちばなのもろえこう》以来の、忠心義胆が血となり涙となって、皇家へ御奉公仕ろうと、そう決心したのであった。
その御奉公の最初の現われが、赤坂築城であり、義兵の旗あげであり、そうして今度の籠城戦であった。
詭計《きけい》のためとは云いながら、その城が燃えているのである。
(ナーニ)
と正成はすぐに思った。
(そうだ一旦《いったん》は敵に渡す。が、やがて奪回《とりかえ》して見せる)
*
大塔宮様が熊野方面に落ち、楠正成《くすのきまさしげ》が河内摂津《かわちせっつ》の間に、隠顕出没《いんけんしゅつぼつ》して再挙を計るべく、赤坂の城をこうして開いたのは、元弘元年十月の、二十一日のことであった。
が、約半年の月日が経って、翌年の四月になった時、正成はふたたび活動をはじめ、わずか五百の兵を以て、まず赤坂の城を攻め、城将湯浅定仏を降し、その兵を合わせて二千となし、住吉天王寺辺へ打って出で、渡辺橋の南に陣を敷いた。
両六波羅探題の周章狼狽は、外目《よそめ》にも笑止の程であって、隅田《すみた》通治、高橋宗康、この両将に五千の兵を付け、急遽討伐に向わせた。
そこで正成は二千の精兵を、まず三つの隊に分かち、天王寺の付近にかくし伏せ、外に弱卒三百をして、橋を守らせ、機会を待った。
隅田、高橋はその弱卒を見て、大いに笑い突撃《とつげき》した。三百の卒は一散に逃げた。
それを追って、隅田、高橋の勢が、天王寺付近にさしかかった時、伏兵が三方からあらわれた。
隅田、高橋の勢の狼狽すまいことか!
「詭計ぞ!」とばかり退き逃げたが、正成の勢に追い討たれ、或いは川に溺《おぼ》れて死に、全軍ことごとく意気沮喪し、二将は京都へ引あげた。
そこで正成は悠々と、天王寺の地へ陣を敷き、京都へ攻めのぼるべき気勢を示した。
と、その時二度目の討手として、宇都宮治部大輔公綱が、向い来るという取沙汰が聞えて来た。
*
七月××日の夜のことであった。正成の天王寺の陣営で、河内の国の住人和田孫三郎は、額の汗をふきふき、正成へ情勢を報知《しら》せていた。
「……そのような事情にござりまして、宇都宮公綱《うつのみやきんつな》宿所《しゅくしょ》にも帰えらず、六波羅殿よりすぐに打ち立ち、主従わずかに十五騎にて、天王寺へ向いましてござりまするが、洛中におりましたるところの兵《つわもの》ども、それと聞き伝え馳せ加わり、四塚作道に達しました頃には、五百|余騎《よき》になりましてござりまする。その行動の果敢なる、権門であれ勢家であれ、路次にて一旦|邂逅《かいこう》しますれば、乗馬を奪い、従者を役夫とし、躊躇するところござりませぬ。そのため旅人は路程を迂回《まわ》り、家々では扉《とぼそ》を閉じまするような有様。既に柱松《はしらもと》に陣を取り、明朝此方へ取りかからん構え、必死に見えましてござりまする」
三
「成程」と正成は聞き終ると、しばらくじっと考え込んだ。
「正遠」とややあって正成は、傍につつましく控えている、一族の和田五郎正遠へ微笑を含んで声をかけた。「意見あろう申してみい」
「は」と云うと正遠は、ユサリと一膝すすめたが、「先般隅田、高橋の勢の、五千余騎をさえ渡辺の橋にて、追い崩しましてござりまする。かかる我君の手腕《てなみ》にも恐れず、公綱《きんつな》わずか七百余騎にて二
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