まで辿り着いたのであった。其処には誰も居なかった。王の持っていたらしい王笏と、穿いていたらしい靴が一足、傷ましい悲劇を語り顔に、床の上に捨ててあるばかりで、王も王妃も居ないのである。
「弑虐か、それとも救い出されたか?」
要するに此二つであった。
併し恐らく弑せられたのであろう。九郎右衛門とコマ皇子とは茫然と顔を見合わせて、立ち縮まざるを得なかった。
しかし左様やって何時までも立ち縮んでいることは出来なかった。敵の領内であるからである。
二人は急いで塔を出た。
気付いて囲繞んだ叛軍の群を、例の精妙の「か音の一手」で、縦横無尽に切り払い、一散に城外へ走り出た。城外には予め備えて置いた、彼の五十人の部下が居たので忽ち一方の血路を開き、カンポット港まで潜行した。こうして船へ乗り込んで一先ず日本へ引き上げたのである。
寛文六年の初夏であったが、その赤格子九郎右衛門は、博多から江戸へ出かけて行った。
時に年八十六歳。頽然たる老人である可きであったが、名に負う海洋で鍛えた体は矍鑠《かくしゃく》として尚逞しく、上下の歯など大方揃っていた。加之此時は彼の資産なども、末次平蔵と伯仲の間に
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