ばかり思っていた海の面の物象が、見る間に上へ持ち上がり、忽ち居然たる大船が海上へ浮んだではございませんか。是ぞ黒仮面船でございます。それにしても自由に波に沈み又浪間から浮き上がって来るとは! 何んという不思議な恐ろしい船が此世の中にあるのだろうと初めて此時心から私は恐ろしく思いました。
六
それから私は何うしたか? 別に何うも致しません! 覆面した水夫達に導かれて、浮沈自由の怪船に乗り込んだのでございます。乗り込んで夫れから何うしたか? 別に何うも致しません! 階段を下って其怪船の胴の間へ這入ったのでござります。
すると其時、船底に当たってコトコトコトコトコトコトという、不思議な物音が聞えました。夫れと一緒に乗っている船が、恐らく水の底へ沈むのでしょう、グラグラ揺れるではござりませぬか。
「船は今水の中にいるのだな」斯う思うと私は復心[#「復心」はママ]からぞっとしたのでござります。それで私は無言のまま四辺をグルグル見廻わしました。室は狭くはありましたけれど柬埔寨風に飾られてあって大変綺麗でござりました。
と、年長の覆面の水夫が、片手を上げて振りました。何かの合図なのでござりましょう、それと同時に他の水夫共は隣室へ立ち去って了いました。後には私と年長の水夫ばかりが室に残ったのでござります。
「いざ先ず夫れへお掛け下されい」年長の水夫は斯う云い乍ら一つの椅子を進めましたので、私は黙って腰掛けました。
すると、覆面のその水夫は、私の腰間の両刀へ、屹《きっ》と両眼を注ぎましたが、
「失礼ながら其両刀、天晴業物でござりましょうな?」と、意外な事を訊いたものです。
「双方共彦四郎貞宗の作、日本刀での名刀でござる」
「如何でござろう、その名刀を、お揮い下さることはなりますまいかな?」――「是は又異なお頼み……なれども夫れだけの仔細ござらば、お頼みに応ぜぬものでもござらぬ。……抑《そも》、相手は何者でござるな?」――「国を奪い、人民を虐げる大悪人でござります」――「ウム、そのような悪人なりや、討ち果たすに異存はござらぬが……して其大虐無道の相手は、今、何処に居られまするな?」――「船底に閉じ込めてござります」――「何、此船の底にとな? これはこれは思いも依らぬ。然らば拙者の手を籍《か》らずとも、諸君方多数の手に依って討ち果たすこと出来ましょうに……」――「い
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