かし作者《わたし》だけは知っている。――知っていればこそこの物語を書きつづることが出来るのである。

 寛延二年から十五年を経た明和《めいわ》元年のことであったが、摂州萩の茶屋の松林に正月三日の夕陽《せきよう》が薄黄色く射していた。
 林の中に寮があった。今はすでに役を退いた志摩長門守の隠居所で、大身の旗本であったから二万石三万石の大名などより家計はかえって豊かと見えなかなか立派な寮であった。
 寮の座敷では年始の酒宴《さかもり》が、今陽気にひらかれている。
「さあさあ今日は遠慮はいらぬ。破目を外して飲んでくれ。それ一献、受けたり受けたり」
 隠居し、今は卜翁《ぼくおう》と号したが、志摩|景元《かげもと》は自分からはしゃいで[#「はしゃいで」に傍点]無礼講の意気を見せるのであった。
「御前もあのように有仰《おっしゃ》ります。遠慮は禁物でござります。……鈴木様、小宮山様、さあさあお過しなさりませ。おやどうなされました川島様、お酒の一斗も召し上ったように顔を真赤にお染め遊ばして、どれお酌致しましょう、もう一つおあがりなさりませ、……山崎様や、井上様、いつもお強い松井様まで、どうしたことか今
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