った。播州赤穂の山屋といえば大阪までも響いていた立派な塩の製造業。そこの娘とあるからはなるほど行儀もよいはずじゃ。氏より育ちとは云うけれど、やはり氏がよくなければどことなく品が落ちるものじゃ。……そこでお前に訊くことがある。十八年前海賊が突然お前の実家を襲い一家惨殺した上に家財をあげて奪ったという、その海賊の頭領の名を、其方《そち》はどうやら知らぬらしいの」
「はい」とお袖は打ち湿り。
「ただ恐ろしい海賊が、ある夜海から襲って参り、妾の家を惨酷《むごたら》しく、滅して行ったと聞いたばかり、妾はその時僅か五歳《いつつ》、乳母に抱かれて山手へ逃げ、そのまま乳母の実家で育ち、十五の春まで暮らしましたが乳母が病気で死にましてからは、日に日に悲しいことばかり、とうとう人外の夜鷹とまで零落《おちぶ》れましてござりますが、いまだに海賊の名も知らず残念に存じて居りまする」
「そうであろうと察していた。……その海賊が何者であるか俺《わし》が教えて進ぜよう」
「え」とお袖は驚いた。
「おおそれではお殿様にはご存じなのでござりますか?」
「おお俺は知って居る」
 卜翁は白髯をしごいたが、
「俺は海賊の本人から親しく聞いて知って居るのじゃ」
 卜翁は遠い昔のことでも思い出そうとするかのように軽くその眼を瞑ったが。
「あの頃俺は官に居た。長門守《ながとのかみ》と守名を宣り大阪町奉行を勤めていた。ちょうどその頃のことであるが、瀬戸内海の大海賊赤格子九郎右衛門をひっ[#「ひっ」に傍点]捕え千日前の刑場で獄門に掛けたことがある。その赤格子九郎右衛門こそ其方《そなた》にとっては父母の仇又一家の仇なのじゃ」
 ふと[#「ふと」に傍点]卜翁は話をやめた。そうして耳を傾けた。廊下に当たってミシリという人の足音が聞こえたからである。
 誰か立聞きでもしているらしい。
「誰じゃ!」と卜翁は声を掛けた。
 しかし答える者もない。
 と、その時近くの寺で、搗き鳴らすらしい鐘の音がボーンと尾を曳いて聞こえてきた。
「おおもう後夜か」と指を折る。
 その時庭の離れ座敷から三味線の音が聞こえてきた。唄うは何? 江戸唄らしい。
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※[#歌記号、1−3−28]ほんに思えば昨日今日
…………
[#ここで字下げ終わり]
 それはお菊の声であった。
「人を避けて籠っていたが、今夜は気分がよいと見えて、あのよ
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