ら、森林の中を浪江と一諸に、話をしながら歩いていた。
「あれは何事でございますか! 若い乙女の身をもって、一糸もまとわぬ全裸体《まるはだか》で、あのような所におられましたのは?」
「止むを得なかったからでございます。……それにあの時ばかりでなく、従来《これまで》もああだったのでございます」
「尚よくないではございませんか。何のためにあんなことをなされるので?」
「お父上がせよと仰言《おっしゃ》いますので」
「私には伯父上の、覚明殿が?」
「そうして丹生川平から申せば、祭司であり長である怖い方から」
病める人々
浪江の声は悲しそうであり、浪江の態度はおどおどしていた。
が、茅野雄は突っ込んで訊ねた。
「どういう利益がありますので? あなたがあのように裸体《はだか》になれば?」
「はい、信者が喜びますそうで」
「信者? ふうむ、業病人《ごうびょうにん》達が?」
「はい、さようでございます。諸国から無数に集まって来た、業病人達でございます」
「何をあなたはなされるので? その不快な業病人達の前で?」
「ただ現われるのでございます。美しい清浄な女として。……」
「が、私には解らない! どうにも私には解らない!」
すると今度は浪江が訊ねた。
「それにしても、あなた様には何の目的で、あの晩あのような場所へ参って、あのようなことをなさいましたので?」
「内陣の様子を見ようものと、忍んで行ったのでございますよ」
「でも父上からあなた様には、止められているはずではございませんか。内陣を見てはいけないと」
「さよう、ですからより[#「より」に傍点]一層に、内陣が見たかったのでございますよ」
「好奇心からでございましょうね?」
「好奇心からでございますとも」
「でも好奇心は好奇心のままで、うっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]お置きなさいました方が、よろしいようにございます。……好奇心は好奇心をとげた時に、値打《かち》を失うでございましょうから」
「値打を失なってしまいたいために、好奇心というものは強い力で、人間に逼るものでございますよ。好奇心は力でございます」
森林の底と云ってもよかろう。特に薄暗い所へ来た。杉だの桧だの※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》[#「※[#「木+無」、第3水準1−86−12]」は底本では「撫」]だの欅だのの、喬木ばかりが生い茂っていて、ほとんど日の光を通さなかった。で、歩いて行く茅野雄と浪江との、姿さえぼけて[#「ぼけて」に傍点]見えるほどであった。
「伯父上はご立腹のようですな」
巨大な楠の木の裾を巡り、行く手に黒くよどんで見える、古沼の方へ歩きながら、こう茅野雄は苦痛らしく云った。
そういう茅野雄と肩を並べながら、足に引っかかる蔓草や落ち葉を、踏み踏み歩きながら浪江は云った。
「内陣を見られるということが、お父様にはこの上もなく、不愉快なのでございますので、それをご覧になろうとして、深夜に洞窟へ人に知らさず、こっそり行かれたあなた様を、怒っているのでございますよ」
「私にこの土地から立ち去るようにと、伯父上には今日仰せられました」
「…………」
「が、それにしても内陣には、何があるのでございましょうかな?」
「…………」
「醍醐弦四郎に対しましても、伯父上にはこの土地を立ち去るようにと、厳命したようでございますな」
「でも、弦四郎様は申されましたそうで『こっそり内陣へ入り込もうとした、宮川氏を入れまいとして、あの晩私や私の部下で、宮川氏を遮りました。功こそあれ罪はないはずで。立ち去れとは不当でございましょうよ』と」
「ナーニ、そのくせ醍醐弦四郎めも、あの晩内陣へ入り込もうとして、洞窟の入り口まで行っていましたので。そこへ私が参りましたので、競争相手を斃《たお》すつもりで、この私へあのように、切ってかかったのでございますよ」
二人は尚も彷徨《さまよ》って行った。
と、一所から声々が聞こえた。
木立がそこだけ隙をなして、日光の射している丘があったが、そこに無数の業病人達がいて、話をし合っているのであった。
茅野雄と浪江とは隙《す》かして見た。
顔に白布をかけている者、松葉杖を脇の下へかっ[#「かっ」に傍点]ている者、一本しかない一本の腕で、胸の辺りをガリガリと掻いている者、膝から両脚がもげているので、歩くことが出来ずに這い廻っている者、髪の毛が残らず抜けたために、老婆のように見える若い女、骨なしの子供、せむし[#「せむし」に傍点]の老人――いずれも人の世の惨苦者《さんくしゃ》であったが、信仰を失ってはいないと見えて、その動作にも話しぶりにも、穏かな沈着《おちつ》いたところがあった。
せむし[#「せむし」に傍点]の老人が体を延ばして、石楠花《しゃくなげ》の花を折ろうとしたが、どうにも身長《せい》が届かなかったので、人々はドッと声を上げて笑った。とは云え笑ったそういう声にも、軽蔑らしい響きなどはなかった。
笑い声が高く大きかったからか、小鳥の群が棹《さお》をなして、日光の明るいそこの空間を、斜めに矢のように翔《か》けて通った。
「幸福そうでございますな」
ふと茅野雄は浪江へ云った。
「幸福なのでございますよ」
こう浪江は答えはしたが、苦しそうなところが声にあった。
「偽瞞《ぎまん》であろうとカラクリであろうと、それが信じられているうちは、幸福なのでございますよ。あの可哀そうな業病人達は」
(偽瞞? カラクリ? 何のことだろう?)
茅野雄には浪江の云った言葉が、審《いぶか》しいものに思われた。
(これもやっぱり洞窟の中の、内陣に置いてある何らかの物と、関係のある言葉に相違ない)
で、茅野雄は押し強く訊いた。
「浪江殿、お話しくださるまいか。内陣には何がありますので?」
「…………」
浪江は返辞はしなかったが、云いたいと努力しているようであった。
二人は宛なしに足を運んだ。
古沼の岸を巡って越し、灌木の多い境地へ出た。
と、その時人の足音が、ひそやかに二人の背後《うしろ》の方でした。
しかし二人には解らなかった[#「解らなかった」は底本では「解らなった」]。
不意に浪江が苦しそうに云った。
「申し上げることにいたします。どなたかにお話しいたしませねば、妾良心の苦しさに、息詰まってしまうのでございます。……あの内陣にあるものは、盗んで来た品物でございます。……しかも片輪なのでございます!」
「浪江!」と、その時鋭い声が、いや、幽鬼的の兇暴の声が、背後にあたって響き渡った。
同時に風を切る音がした。
「あれ!」
「伯父上!」
ガラガラガラ!
体は長身、髪は切り下げ、道服めいた衣裳を着た、一人の老人が鉄の杖を、両手で頭上に振り冠り、怒りと憎しみとで顔を燃やし、水銀のようにギラギラと光る、鋭い眼で、一所を睨みながら、あたかも鬼のように立っていた。
外ならぬ宮川覚明であった。
そういう覚明から二間ほど離れた、桧の大木の背後の辺りに、一個の群像が顫えながら、覚明を見詰めて、立っていた。
覚明が背後から鉄の杖で、浪江を撲殺しようとしたのを、早くも気勢《けはい》で察した茅野雄が、刹那に浪江を引っ抱え、瞬間に飛び退いて難を遁れ、いまだに浪江を引っ抱えたままで、立っているところの姿なのであった。
寂然とした間があった。
向かい合った三人の空間を、病葉《わくらば》が揺れながら一葉二葉落ちた。
と、讃歌が聞こえてきた。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]唯一なる神
みそなわし給う
病める我らを
慈悲の眼をもて。
[#ここで字下げ終わり]
丘の上の大勢の業病人達が、歌っている讃歌に相違なかった。
宙に上っている鉄の杖が、この時ゆらゆらと前へ出た。
覚明が前へ出たのである。
その覚明が呻《うめ》くように云った。
「内陣の秘密を洩らす者は、肉親といえども許されない! 洩らしたな浪江! 聞いたな茅野雄! ……娘ではないぞ! 甥でもない! 教法の敵だ! おのれ許そうか! ……生かしては置けぬ! 犬のように死《くた》ばれ!」
ジリジリジリジリと前へ進んだ。
が、また讃歌が聞こえてきた。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]唯一なる神
許したもう
信じて疑わぬ
我らのみを。
[#ここで字下げ終わり]
「聞け!」と、覚明はまた進んだ。
「あの歌を聞け! あの歌を聞け! 疑わぬ者のみが許されるのだ! ……おのれらよくも疑がったな! よしや盗んだ品であろうと、よしやその品が片輪であろうと、疑がわぬ者には力なのだ! あばく[#「あばく」に傍点]ことがあろうか! あばく[#「あばく」に傍点]ことこそ罪だ! 死ね!」と、鉄の杖が振り下ろされた。
長閑な会話
しかしその時には浪江を抱いたまま、茅野雄は背後へ飛び退いていた。
茅野雄と浪江とは若かった。その行動も敏捷であった。
しかし覚明は老人であった。行動は鈍く敏捷でなかった。
このままで推移したならば、茅野雄と浪江とは遁れられるかも知れない。
と、云うことが解ったと見える。
大音声に覚明は叫んだ。
「教法の敵こそ現われましたぞ! 方々出合って打って取りなされ!」
オーッという応ずる高声と、ワーッという大勢の鬨《とき》の声とが、忽ち四方から湧き起こった。
しかるにこの頃数人の武士が、丹生川平の境地を下り、例の曠野まで続いている、大森林を分けながら、曠野の方へ辿っていた。
醍醐弦四郎と部下とであった。
「まごまごしていると追っ払われるぞ」
こう云ったのは弦四郎であった。
「丹生川平をでございますかな」
こう云ったのは半田伊十郎であった。
「ああそうだよ、丹生川平をさ」
「お立ち退きなさればよろしいのに」
「途方もないことを云うものではない。あれほどの宝とあれほどの女を、うっちゃることが出来るものか」
「それはまアさようでございましょうが」
「俺が内陣へ入りたがっている。――いやあの晩は入ろうとした――と云うことを覚明殿に見抜かれたのが、失敗だったよ」
「茅野雄も内陣へ入りたがっていたようで」
「だからこそあの晩洞窟の口へ、こっそり忍んでやって来たのさ」
「そこで我々が襲ったという訳で」
弦四郎の一行は歩いて行く。
「どうともして今度こそ白河戸郷を、退治る方法を講じなければならない」
まだ弦四郎はこういうように云った。
「で、出かけて来たのだがな」
「ともかく一応白河戸郷へ、潜入する必要がございますな」
「そのためこうやって出て来たのさ」
弦四郎達は大森林を出た。
と、美しい花の曠野が、依然として人の眼を奪うばかりに、弦四郎達の眼の前に拡がった。
灌木に隠れ、丘に隠れ、弦四郎達は先へ進んだ。
と、にわかに立ち止まり、弦四郎はグッと眼を見張った。
白河戸郷の方角から、三人の男と一人の女とが、長閑《のどか》そうに話しながら来たからであった。
「はてな」と、弦四郎は打ち案じた。
「遠目でハッキリとは解らないが、見たことのあるような連中だ」
で、じっと尚も見た。
歩いて来る四人は何者なのであろう?
一人は一ツ橋|慶正《よしまさ》卿であり、一人は松平|碩寿翁《せきじゅおう》であり、一人は刑部《おさかべ》老人であり、一人は巫女の千賀子なのであった。
「よい眺めだの」と、慶正卿が云った。
「花園のようでございます」
碩寿翁がすぐ応じた。
「こういう景色を見ていれば、悪事などしたくなくなるだろうな」
「まさにさようでございます」
「京助などという穏しい手代を、殺そうなどとは思うまいな」
「とんだところでとんでもないことを」
「が、安心をするがよい。あの男は私が助けてやった。今頃は貧しいが清浄な娘と、つつましい恋をしているだろう。……それはそうと千賀子殿」
「はい」と、千賀子は慇懃《いんぎん》に云った。
「昔のあなたになれそうだの」
「殿様のお蔭にございます」
「それはそうと刑部老人」
「はい」と、刑部老人は云った。
「その物々しい白い髯は、そうそう苅
前へ
次へ
全20ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング