と、はた[#「はた」に傍点]から大袈裟にけしかけ[#「けしかけ」に傍点]などしたら、事実恋仲になろうもしれない」
「よい観察! その通りでござる」
 弦四郎はこう云うと憎々しそうにした。
「が、永遠の処女として、丹生川平の郷民達から、愛せられ敬まわれ慕われている、浪江殿を貴殿が手に入れられたら、郷民達は怒るでござろう」
「さようかな」
 と、茅野雄であったが、軽蔑したように軽く受けた。
「郷民達が怒る前に、貴殿が怒るでございましょうよ」
「…………」
「と云うのは貴殿こそ浪江殿に対して、恋心を寄せておられるからで」
 これには弦四郎も鼻白んだようであったが、負けてはいなかった。
「いかにも某《それがし》浪江殿を、深く心に愛しております。覚明殿にも打ち明けてござる。と、覚明殿仰せられてござる。『白河戸郷を滅ぼしたならば、浪江を貴殿に差し上げましょう』とな」
「ほう」と、茅野雄はあざける[#「あざける」に傍点]ように云った。
「覚明殿が許されても、肝心の本人の浪江殿が、はたして貴殿へ行きますかな?」
 するとその時まで沈黙して、次第に闘争的感情をつのらせ[#「つのらせ」に傍点]、云い合っている二人の武士の、その言い争いを心苦しそうに、眉をひそめて聞いていた浪江が、優しい性質を裏切ったような、強い意志的の口調で云った。
「妾《わたし》は品物ではございません。妾は人間でございます。妾は妾の愛する人を、妾の心で選びますよ!」
 で、茅野雄も弦四郎も白けて、しばらくの間は無言でいた。
 ここは小川の岸であって、突羽根草《つくばねそう》の花や天女花《てんにんか》の花や、夏水仙の花が咲いていた。小川には水草がゆるやかに流れ、上を蔽うている林の木には、枝や葉の隙《すき》から射し落ちて来る日の光に水面は斑《ふ》をなして輝き、底に転がっている石の形や、水中を泳いで行き来している小魚の姿を浮き出させていた。
 一筋の日光が落ちかかって、首を下げている浪江の頸《うなじ》の、後れ毛を艶々《つやつや》しく光らせていたが、いたいたしいものに見えなされた。
 そういう浪江と寄り添うようにして、腰をかけている茅野雄の大小の、柄の辺りにも日が射していて、鍔《つば》をキラキラと光らせていた。
 その前に立っている弦四郎の態度の、毒々しくあせって[#「あせって」に傍点]いることは! 両足を左右にうん[#「うん」に傍点]と踏ん張り、胸へ両腕を組んでいる。
 と、そういう弦四郎であったが、にわかに磊落《らいらく》に哄笑した。
「アッハッハッ、ごもっとも千万! 浪江殿の婿様でござるゆえ、浪江殿が自身で選ばれるのが、当然至極でございますとも。……そうなると拙者は方針を変えて、慾の方へ走って行くでござろう」
「慾? なるほど! どんな慾やら?」
 茅野雄には意味が解らないようであった。
「慾は慾なり[#「なり」に傍点]でございますよ」
 こう云う弦四郎は眼を走らせて、遥かの彼方《かなた》に森林に蔽われ、頂きだけを出している、洞窟のある岩の山を、意味ありげに眺めやった。
「あそこの洞窟の中にある、神殿の内陣へまかり越し、値打ちあるものをいただくという慾で」
 この意味も茅野雄には解らなかったらしい。
「神殿の内陣にありますかな? そのように値打ちのある品物が!」
「馬鹿な!」と、弦四郎は喝《かっ》するように云った。
「貴殿も承知しておられるくせに」
「拙者は知らぬよ!」とブッキラ棒であった。
 茅野雄はブッキラ棒に云い切った。
 しかし弦四郎は嘲けるように云った。
「巫女《みこ》が貴殿に予言された筈で。山岳へおいでなさりませ、何か得られるでございましょうとな! ……その何かがあの神殿の、内陣にあるのでございますよ! 得ようと思って来られたのでござろう! さよう、ここへ、丹生川平へ!」
「また出ましたな、巫女という言葉が! が、拙者は巫女の云ったことなど。……」
 茅野雄がすっかり云い切らないうちに、しかし弦四郎は歩き出した。
「内陣の中の品物についても、貴殿と競争をするように、いずれはなるでござりましょうよ。どっちが先に手に入れるか? こいつ面白い賭事でござる。……勝つには是非とも白河戸郷を、何より滅ぼさなければならないようで。……何故? 曰くさ! 覚明殿がだ、拙者へこのように云ったからでござる。白河戸郷を滅ぼしたならば、神殿の内陣へ入れてあげましょうと! ……入ったが最後掴んでみせる。……で、貴殿にも心を巡らされ、白河戸郷を滅ぼすような、うまい策略をお立てなされ!」
 云い捨ると弦四郎は行ってしまった。
 茅野雄は後を見送ったが、心の中で呟いた。
(ああ云われると俺といえども、内陣の中へ入って行って、何が内陣に置かれてあるのか、ちょっと調べて見たくなった)

 星月夜ではあったけれど、森に蔽われている丹生川平は、この夜もほとんど闇であった。
 神殿が設けられているという、岩山の辺りはわけても暗く、人が歩いていたところで、全然姿はわかりそうもなかった。
 そういう境地を人の足音が、岩山の方へ辿っていた。
 足音の主は宮川茅野雄で(何が内陣に置かれてあるか、ちょっと調べて見たくなった)――この心持が茅野雄を猟《か》って、今や歩ませていたのであった。
 古沼の方に燈火《ともしび》が見えた。病人達が古沼の水で、水垢離《みずごり》を取っているのであろう。
 どことも知れない藪の陰から、低くはあるが大勢の男女が、合唱している声が聞こえた。
 病人達が唄っているのであろう。
 が、神聖の地域として、教主の宮川覚明が、許さない限りは寄り付くことの出来ない、この岩山の洞窟の入り口――そこの辺りには人気がなくて、森閑《しん》として寂しかった。
 茅野雄は洞窟の入り口まで来た。
(いずれは番人がついていて、承知して入れてはくれないだろう。が、ともかくも様子だけでも見よう)
 茅野雄はこういう心持から、この夜一人でこっそりと、ここまで辿って来たのであった。
 さて、洞窟の前まで来た。
 茅野雄は入り口から覗いて見た。暗い暗いただ暗い! 恐らく神殿の設けられてある洞窟内の奥までには、幾個《いくつ》かの門や番所があり、道とて曲がりくねって[#「くねって」に傍点]いて、容易に行けそうには思われなかった。
(行ける所まで行ってみよう)
 で、茅野雄は入り口へ入った。
 が、その時背後にあたって、ゾッとするような感じを感じた。
 と、思う間もあらばこそであった。数人の人間が殺到して来た。
「…………」
 無言で洞窟の入り口から、外へ飛び出した宮川茅野雄は、これも無言で切り込んで来た、数人の人間の真っ先の一人へ、ガッとばかりに体あたり[#「あたり」に傍点]をくれて、仆れるところを横へ逸《そ》れ、木立の一本へ隠れようとした。
 意外! そこにも敵がいた。
 閃めく刀光! 切って来た。
 鏘然! 音だ! 合した音だ!

白皓々

 切って来た鋭い敵の刀を、抜き合わせて茅野雄が払ったのであった。
 茅野雄は巡《まわ》った! 木立を巡った。もう一本の木立へ来た。
 刀光! 意外! 敵がいた! 閃めかして茅野雄へ切ってかかった。
 また太刀音! が、しかしだ! 既に茅野雄はこの時には、身を翻えして遁れていた。
 この間も茅野雄は考えた。
(信者なら声をかけるはずだ! 「神殿を荒らす背教者でござるぞ! 出合え! 方々!」――と、こんなように! ……ところがこいつは黙っている。……何者だろう? 何者だろう? うむ、五人だな! おッ、来おる!)
 闇を一層に闇にして、五人の人影が塊《かた》まって、迫って来るのが幽かに見えた。
 と、その次に起こったことは、数合の太刀音のしたことと、一人の人影が地上へ仆れ、仆れながら何かを投げたことと、その人影が起き上った時、一人の男が唸《うな》り声をあげて、ドッと地上へ仆れたことと、仆れた人間を切り刻もうとして、五人の人影が飛びかかったことと、洞窟の入り口へ光が射して、すぐに一点|龕燈《がんどう》の光が、闇へ花のように浮かび出たことと、全裸体《まるはだか》の乙女がその龕燈を捧げて、悩ましそうな眼付きをして、投げられた丸太に足を打たれ、地上へ仆れている茅野雄の姿と、茅野雄を切って刻もうとして、醍醐《だいご》弦四郎と彼の部下の、半田伊十郎と他五人とが、茅野雄の周囲に集まっているのを、順々に見廻したこととであった。
「浪江殿ではござらぬか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「……その姿は? ……白皓々《はくこうこう》!」
 茅野雄と弦四郎とは同時に云った。

 それから数日後のことであった。三挺の駕籠が前後して、花の曠野へ現われた。
 曠野へ駕籠が三挺出て、すこしばかり先へ進み出した時、もう一挺の駕籠が出て、三挺の駕籠へ追いついた。
 数日前に萩村の駅《うまやじ》の、柏屋という旅籠《はたご》屋から、乗り出した駕籠に相違ない。
 では真っ先の駕籠にいるのは、いわれぬ威厳を持ったところの、高貴な身分の若武士《わかざむらい》であろうし、その次の駕籠にいる者は、松平碩寿翁その人であろうし、その次の二挺の駕籠にいるのは、身分に見当の付かないような、小気味の悪い老人と、若い美しい娘とであろう。
 さてこうして四挺の駕籠が、丹生川平と白河戸郷とを、連絡している花の曠野へ、同時に姿を現わした。どっちかの郷へ行かなければなるまい。
 と、はたして四挺の駕籠は、白河戸郷の方角へ向かって、ゆるゆると歩みを進ませて行った。
 と云うよりも真っ先の駕籠が、白河戸郷の方角を目ざして、ゆるゆるとして進んで行くので、碩寿翁の乗っているもう一挺の駕籠が、その駕籠についてその方へ進み、碩寿翁の乗っているその駕籠が、その方へ進んで行くところから、それをつけて[#「つけて」に傍点]その次の二挺の駕籠が、その方へ進んで行くのだと、こう云った方がよさそうであった。
 進み進んで四挺の駕籠が、曠野から姿を消した時、白河戸郷の盆地の上の、丘の一所へ現われた。
 そこから姿の消えた時には、盆地の坂を下っていた。
 が、そうして四挺の駕籠が、白河戸郷へ到着するや、幾つかの事件が行なわれた。
 衆を集める鐘の音が、回教寺院めいた建物から響くと、耕地からも往来《みち》からも家々からも、居酒屋からも、花園からも、大人や子供や男や女が、一度に鬨《とき》を上げて集まって来て、四挺の駕籠を取り巻いてしまった。
「誰だ誰だ! 何者だ!」
「神域へ無断で入って来た! 追い払ってしまえ! 虐殺してしまえ!」
「とにかく将監《しょうげん》様へお知らせしろ!」
「どんな奴が駕籠に乗っているのだ! 駕籠の戸をあけて引きずり出せ!」
 郷民達が声々に喚いた。
 と、その時一人の老人が、幾人かの郷民に囲繞されて、四挺の駕籠の方へ近寄って来たが、
「拙者は白河戸将監でござる。白河戸郷の長でござる。何用あって参られたか?」
 こう四挺の駕籠に向かって云った。
 と、その声に応じて一挺の駕籠から、一ツ橋|慶正《よしまさ》卿が悠々と現われ、もう一挺の駕籠から碩寿翁が現われ、もう二挺の駕籠から老人と美女――他ならぬ刑部《おさかべ》老人と、巫女《みこ》の千賀子とが現われた。
 そうして一ツ橋慶正卿が、何やら将監へ囁いた。
 と、形勢が一変した。
 郷民達が慇懃《いんぎん》になり、一度に揃って慶正卿へ、ひざまずいて頭を下げたりした。将監においても丁寧になり、恭しく慶正卿に一礼し、それから自身が先頭に立って、回教寺院めいた建物の側の、一宇の屋敷へ案内した。それは将監の屋敷らしかった。
 ところで碩寿翁と刑部老人と、巫女の千賀子とはどうしたかというに、これも将監に案内されて、慶正卿につづいて将監の屋敷へ、同じく招待されたのであった。
 で、その後は白河戸郷は、以前《まえ》ながらの平和に帰ったが、その平和には活気があって、明るさを加えたようであった。

 これに反して丹生川平の方は、陰鬱の度を加えて来た。
 わけても陰鬱になったのは、宮川茅野雄その人であって、ある日人目を避けなが
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