いう男が、偉大な宗祖のように見えるが、大したものではなかったらしい。カアバというこの文字から推察すれば、回教には因縁があったようである。と云うのはカアバというこの文字の意味は、亜剌比亜《アラビア》のメッカ市に存在する、回教の殿堂の名なのであるから。そういえば祈祷の文句にある、神は唯一なりというこの言葉なども、回教の教典《コーラン》の中にある。
家光将軍の時代といえば、吉利支丹迫害の全盛時代で、吉利支丹信者は迫害したが、その他の宗教に対しては、政策として保護を加えた。で勘解由という人物であるが、長崎あたりにゴロツイていて、何かの拍子に回教の教理の、ほんの一端を知ったところから、江戸へ出て来て布教したのであろう。大して勢力もなかったので、有司もうっちゃって置いたのであろう。
刑部という男にしてからが、同じ頃に長崎にゴロツイていて、いろいろの国の紅毛人と交わり、異国の安っぽい器具《うつわもの》などを、安い値でたくさん仕入れて来て、これも長崎で知り合いになった、勘解由という男と結托して、大袈裟に宣伝して売っただけなのであろう。
さてまずそれはそれとして、人間という者は出世をすれば、自分へ
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