した結果が、事件の基となったのであった。
(二)一ツ橋慶正卿が回教における、カリフの尊号を得たことについては、作者の調べた文献の中に、その詳細がないところから、ここで説明することは出来ない。
(三)大金剛石の両眼は、白河戸郷から持ち来たされた、真のアラ神の眼窩の中へ、あらためて納められたということであるが、そのアラ神は慶正卿の意見――メッカへ返せという意見のままに、遥々《はるばる》亜剌比亜《アラビア》へ送り返されたとも、元の持主の千賀子のもとで、保存されたとも云われている。
(四)丹生川平と白河戸郷とが、和睦したことは云うまでもないが、「山岳の奥にとじこもって、密修をするよりも都会へ出て、市井の間に布教した方が、宗教として効果がある」という、慶正卿の意見に従い、二郷の人達が江戸へ出て、千賀子を昔通り教主に立て、回教|弘通《ぐずう》に努力したと、こう文献に記されてあるが、詳細のことは作者も知らない。
(五)醍醐弦四郎はその以前に、長崎辺りにゴロツイていた、某大名の浪人であったが、この出来事のあった頃には、浪人組の頭《かしら》として、強請《ゆす》りや盗賊《ものとり》もしていたそうで、悪人に
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