一宇[#「一宇」は底本では「一字」]の伽藍が、森然として立っていることであって、その形は小さかったが――と云って二十間四方はあろうか、様式がこの上もなく異様であった。とは云え伽藍の本当の姿は、その伽藍をこんもり[#「こんもり」に傍点]と取り巻いている、巨大な杉や桧に蔽われて、見て取ることは出来なかった。が、真鍮色の天蓋形の、伽藍の屋根が朝日や夕日に、眼眩《めくる》めくばかりに輝いて、正視することさえ出来ないように、鋭い光を反射して、そのため鳥の群がそこへばかりは、翼を休めて停まろうとさえしない。――と、云うほどにも神々しい屋根が、人々の眼に見てはとれた。
 曠野の方へ漫歩して行く、女の群はその伽藍から、どうやら揃って出て来たらしい。
 その群は今や丘の斜面を、上へすっかり上り切って、丘の頂きへ姿を現わした。
 十二人の処女らしい娘達に、守護されながら歩いている乙女の、何という美しく健康《すこやか》で、快活で無邪気であることか! 身長《せい》も高ければ肥えてもいる。四肢の均整がよく取れていて、胸などもたっぷりと張っている。切れ長でしかも大きな眼、肉厚で高い真直ぐの鼻、笑うごとに石英でも並べたような、白くて艶のある前歯が見え、その歯を蔽うている唇は、臙脂《べに》を塗ってはいなかったが、臙脂《べに》を塗っているよりも美しかった。練り絹の裾だけに、堂や塔や伽藍や、武器だの鳥獣だのの刺繍をしている、白の被衣《かつぎ》めいた長い布《きれ》を、頭からなだらかに冠っていた。異国織りらしい帯の前半《まえはん》へ、異国製らしい形をした、金銀や青貝をちりばめた、懐剣を一本差しているのが、この乙女を気高いものにしていた。
 乙女を守護している娘達も、揃って美しく健康で、上品で無邪気ではあったけれども、被衣などは冠っていなかった。侍女達であることは云うまでもあるまい。
 その一行が斜面を上って、丘の頂きへ立った時に、下から一斉に声を揃えて、呼びかける声が聞こえてきた。
 ――お嬢様ご用心なさりましょう。
 ――あまり遠くへおいでなさいますな。
 ――丹生川平の連中が、襲って参るかもしれませぬ。
 距離がへだたっているがために、地言《じこと》はハッキリと解らなかったが、こういう意味のことを言っているようであった。
 で、乙女も侍女達も、盆地の方を振り返って見た。往来や田畑や家の門口《かどぐち》などに、人々が集まって丘の方を見ていた。
 その人達が注意したのであった。
「大丈夫だから先へ行こうよ」
 この郷の長であると共に、この郷の神殿の祭司である、白河戸将監《しらかわどしょうげん》の一人娘の、小枝《さえだ》というのがこの乙女であったが、そう云うと侍女達を従えて、曠野の方へ漫歩をつづけた。
 彼女達は彼女達が信じている、白河戸郷の守護神とも云うべき、神殿のご本尊の「唯一なる神」へ、野の花を捧げようと考えて、野の花を摘みに来たのであった。
 小川が一筋流れていて、燕子花《かきつばた》の花が咲いていた。と、小枝は手を延ばしたが、長目に燕子花の花を折った。と、小枝は唄い出した。
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※[#歌記号、1−3−28]メッカの礼拝堂《ハラーム》に
信者らの祈る時、
帳《とばり》の奥におわす
御像《みぞう》の脚に捧げまつらん
日の本の燕子花を。
[#ここで字下げ終わり]
「みんなも燕子花を取るがよいよ」
 ――すると侍女達も手を延ばして、各自《めいめい》燕子花を折った。
 一行は楽しそうに歩いて行く。
 灌木の裾に白百合の花が、微風に花冠を揺すりながら、幾千本となく咲いていた。
 と、小枝は手を延ばして、その一本を折り取ったが、
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※[#歌記号、1−3−28]|白楊《はこやなぎ》の林に豹が隠れ、
信者らが含嗽《うがい》して
アラの御神《みかみ》を讃え奉《まつ》る時、
回教|弘通者《ぐつうしゃ》のオメル様の墳塋《はか》へ、
ささげまつらん白百合の花を。
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 こう歌って侍女を返り見た。
「さあお前達も百合の花をお取り」
 一行は先へ進んで行く。
 一所に崖が出来ていて、小さな滝が落ちていた。岩燕が滝壺を巡って啼き、黄色い苔の花が咲いていた。その苔の花にまじりながら、常夏《とこなつ》の花が咲き乱れていた。
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※[#歌記号、1−3−28]|果物《くだもの》の木に匂いあり
御神水《ミム》と黒石《アラオ》とに、
虹の光のまとう時
馬合点《マホメット》様の死せざる魂に
いざや捧げまつろうよ
常夏の花の束を。
[#ここで字下げ終わり]
 小枝は常夏の花を見ると、こう朗らかに歌いながら、手を延ばして一本の花を折った。と、延ばした右の手の袖が、肘の辺りまで捲くれ上って、白い脂肪《あぶら》づいた丸々とした腕
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