のやることだがなあ)
考えていたところで仕方がない。用心しいしい進んで行くことにした。
で、茅野雄は歩き出した。
裾べり野袴に菅《すげ》の笠、柄袋をかけた細身の大小、あられ小紋の手甲に脚絆、――旅装いは尋常であった。
峠の路は歩きにくい、野茨が野袴の裾を引いたり、崖から落ちて来る泉の水が、峠の道に溢れ出て、膝に浸《つ》くまでに溜っていたりした。
高山の城下へ着くまでには、まだまだ十里はあるだろう。それまでに人家がなかろうものなら、野宿をしなければならないだろう。
(急がなければならない、急がなければならない)
で、茅野雄は足を早めた。
こうして二里あまりも来ただろうか、峠の道が丁寧にも三つに別れた地点まで来た。
(さあ、どの道を行ったものであろうか、ちょっとこれは困ったことになったぞ)
で、茅野雄は足を止めた。
不思議な老樵夫
一本の道は少しく広く、他の二本の道は狭かった。
(城下へ通う道なのだから、相当に広い道でなければならない――この広い道がそうなんだろう。高山へ通っている道なんだろう)
こう茅野雄は考えて、その広い道へ足を入れた。
と、その時一人の老人が、狭い方の道の一本から、ノッソリと姿を現わした。かるさん[#「かるさん」に傍点]を穿いて筒袖を着て、樵夫《そま》と見えて背中に薪木をしょって、黒木の杖をついていた。
「ああこれ爺《おやじ》ちょっと訊きたい」
茅野雄はそれと見てとって、確かめて見ようと思ったのだろう。後戻りをして声をかけた。
「高山のお城下へ参るには、この道を参ってよろしかろうかな?」
こう云って広い方の道を指した。
と、老樵夫は冠り物を取って、コツンと一つ頭をさげたが、つくづくと茅野雄の顔を見た。
「へい、高山へいらっしゃいますので」
「さよう、高山へ参る者だ。この道を参ってよろしかろうかな?」
「…………」
どうしたのか老樵夫は物を云わないで、何か物でも探るように、茅野雄の顔を見守った。
大きい眼、高い鼻、田舎者らしくない薄い唇、頬の肉がたっぷり[#「たっぷり」に傍点]と垂れていて、わずかではあったが品位があった。年格好は五十五六か、顔の色は赧く日に焼けていたが、かえってそれが健康そうであり、額や頤に皺はあったが、野卑なところは持っていなかった。――これが老樵夫の風貌であって、注意して観察を下したならば、単なる山間の住民などではなく、由緒ある人間だということに、感付くことが出来たであろう。
と、老樵夫は意味ありそうに笑った。
「ハッハッハッ、異《ちが》いますよ」
「異う? そうか、この道ではないのか」
「へいへいこの道ではございません」
「しかしこの道が広いようだが。お城下へ通っている道とすれば、この道以外にはなさそうだが」
すると老樵夫はまた笑ったが、意味ありそうに次のように云った。
「尊いお文《ふみ》にございます。天国への道は細く嶮しく、地獄への道は広うござるとな。――それ、この一番狭い道が、あなた様の道でございますよ」
(何だか風変わりのことを云う爺だ。まるでお説教でもしているようだ)
茅野雄は笑止に思いはしたが、
「ほほうさようか、この細い道か。この道を真直ぐに辿って行けば、高山のお城下へ出られるのだな」
しかし老樵夫は同じような事を、慇懃《ねんごろ》に繰り返すばかりであった。
「それ、この一番狭い道が、あなた様の道でございますよ」
「そうか」と、茅野雄は会釈をした。
「お前に訊ねてよいことをした。お前へ道を訊かなかろうものなら、すんでに別の道へ行くところだった。ではこの道から参ることにしよう」
で、茅野雄は歩き出したが、すぐに丈《たけ》延びた雑草に蔽われ、その姿が見えなくなった。と、老樵夫は茅野雄の行った後を、意味ありそうに見送ったが、
「武道も学問もおありなさる、立派なお武家に相違なさそうだ。……郷民《ごうみん》たちは喜ぶだろう。……きっと歓迎するだろう。……が、云ってみれば人身御供《ひとみごくう》さ。お武家様にはご迷惑かもしれない。……とはいえ俺達にとって見ればなあ」
こう呟きの声を洩らした。
夏の日が熱く照っていて、ムッとするような草いきれがした。と、一匹の青大将が、草むらから姿を現わしたが、老樵夫を見ても逃げようとはせず、道を横切って姿を消した。
「どれ、そろそろ行くとしようか」
で、老樵夫は歩き出したが、ものの二間とは行かなかったろう、旅装いをした五人の武士が、茅野雄の上って来た同じ道から、上って来るのに邂逅《いきあ》った。
「これこれ」と、一人の武士が云った。
「ちょっと物を訊《たず》ねたい」
猟夫《さつお》の使う半弓を持った、それは醍醐弦四郎であったが、さも横柄に言葉をつづけた。
「旅の侍が通ったはずだ。ここに三本の道がある。
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