俺は主人だ! 主人の云い付けなら聞かなければなるまい! どうしても見せないと云うのなら、俺が腕ずくで取ってみせる!」
 で、包物を両手で握った。
「旦那様、いけませんいけません!」
 取られてたまるか[#「たまるか」に傍点]というように、京助は、包物を益々しっかりと、両手で、胸へ抱きしめたが、
「泥棒! 泥棒!」と声を上げた。
 胆を潰したのは勘右衛門であって、呆れたように眼を見張ったが、すぐに激怒に駆り立てられたらしい。
「泥棒だと※[#疑問符感嘆符、1−8−77] 馬鹿者め! 何をほざくか! 奥の品物を見ようとするのだ! 奥の品物なら俺の物! 取って見たとて何が泥棒だ! ……ははあいよいよ怪しいわい! そうまでして俺に見せまいとする! そうだてっきり[#「てっきり」に傍点]あの品物だ! これよこせ[#「よこせ」に傍点]! これ見せろ! ……昨夜《ゆうべ》も昨夜だ、深夜に帰って来て、俺の言葉をごまかしてしまって、あるともないとも品物について、ハッキリした返事をしなかった。……で、今日は昼からやって来たのだ。……と、どうだろう手代をけしかけて[#「けしかけて」に傍点]、あいつ[#「あいつ」に傍点]をどこかへ持たせてやろうとする。……もう女房とは思わない! 俺を破滅へ落とし入れる、恐ろしい憎い悪党|女《あま》だ! ……この京助めが、手前も手前だ! あくまでも拒むとは途方もない奴だ! よこせ! 馬鹿めが! こうしてやろう!」
 突然パンパンという音がして、すぐに続いて悲鳴が起こった。
 勘右衛門が平手で京助の頬を、二つがところ食らわせて置いて、包物をグイと引ったくったため、京助が悲鳴を上げたのである。
 こうして、松倉屋勘右衛門は、包物を手中には入れたけれど、持ちつづけることは出来なかった。
 いつの間にどこから来たのであろうか、一見して放蕩《ほうとう》で無頼に見える、三十がらみの大男が、勘右衛門の側《そば》に突っ立ったが、顔立ちがお菊とよく似ていて、好男子であることには疑がいがなかった。左の眼の白味に星が入っていて、黒味へかかろうとしているのが、人相をいやらしい[#「いやらしい」に傍点]ものにしている。濃い頬髯を剃ったばかりと見えて、その辺りが緑青《ろくしょう》でも塗ったようであった。
 お菊の兄の弁太なのであった。
 その弁太が右手《めて》を上げたかと思うと、ポンと勘右衛門の小手を打った。
 不意に打たれたことである。勘右衛門が持っていた包物を、取り落としたのは当然と云えよう。
「おい」と弁太が声をかけた。
「おい京助さんそいつ[#「そいつ」に傍点]を拾って、早く行く所へ行くがいいよ」
 それから勘右衛門へ眼をやったが、ニヤニヤ笑うと揉み手をした。
「妹に話がございましてね、参上したのでございますよ。……旦那、やり口があくどい[#「あくどい」に傍点]ようで。妹にだって用事はありましょうよ。その、私用という奴がね。……何の包物だか存じませんが、何か妹に思わくがあって、どこかへやろうとしていますようで。――へい、来かかって小耳へ挿んだので。……いくら旦那でもそんなことへまで、干渉なすっちゃアいけませんな。……おい、京助さん、早くお行き! ハッ、ハッ、ハッ、行ってしまったか」
 小気味よさそうに声を上げて笑った。
 勘右衛門が怒ったのは当然と云えよう。さも憎さげに弁太を睨《にら》んだが、
「うむ、お前さんは弁太殿か、妹をいたぶり[#「いたぶり」に傍点]に参られたと見える。……妹とは云ってもわし[#「わし」に傍点]の女房だ、そうそういたぶっ[#「いたぶっ」に傍点]て貰いますまいよ。……が、そんなことはどうでもよい! 何故今わし[#「わし」に傍点]の邪魔をされた! 返辞をおし! ……と、今になって云ったところで、こいつどうにもなりそうもない! ……京助々々包物をよこせ! ……おや京助め行ってしまったか! ……待て待て待て、遁してたまるか!」
 で、弁太を背後《うしろ》へ見すてて、勘右衛門は門の外へ走り出したが、もうこの頃には手代の京助は、町の通りを足早に、先へ先へと走っていた。
 京助は往来《とおり》を走っている。
(弁太という男は大嫌いだが、今日はにわかに好きになった。俺を助けてくれたのだからな。あの男が加勢してくれなかろうものなら、奥様からの預かり物を、すんでに旦那に取られるところだった。よかったよかった本当によかった。……それにしても一体包物の中には、何が入っているのだろう。奥様は奥様であんなにも真剣に、「途中で誰が何と云おうと、よしんば誰が止めようと、決してこれを渡したり引っ返して来てはいけない」と云われた。先方へ渡せと仰せられた。旦那は旦那で怖い顔をして、是非によこせと云って取ろうとした。大切な物には相違ない。何だか中身が見た
前へ 次へ
全50ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング