の中を白河戸郷をさして、歩いていた一ツ橋慶正卿は、にわかにこう云って碩寿翁達を見た。
「それはまた何ゆえでございますかな?」
 こう碩寿翁は意外そうに訊いた。
「お前達みんなが取り合おうとしている、その[#「その」に傍点]物が人の手に渡ろうとしている」
「いやそれは大変なことで! ……しかしどうしてそのようなことが?」
「わし[#「わし」に傍点]だけには解る理由があるのだ」
「ではこうしてはおられませんな」
「それに二人の立派な男女が、虐殺の憂目に逢おうとしている」
「丹生川平《にゅうがわだいら》ででございますかな?」
「そうだ、丹生川平でだ」
「急いで行こうにも道程《みちのり》はあり、ことには歩きにくい森林ではあり……」
「そうだ、どうも、それが困る」
 慶正卿はこう云ったが、四辺《あたり》に放牧されている、野馬の群へ眼をつけると、
「うん、ちょうど野馬がいる。これへ乗って駈け付けることにしよう」
「よい思い付きにございます。では私もお供しましょう」
「刑部《おさかべ》老人と千賀子殿とは、まさか野馬には乗れまいな。またお前達二人などは、急いで駈けつける必要はない。後からゆっくり来られるがよい」
 こう云った時には慶正卿は、既に一匹の野馬の背へ、翻然として飛び乗っていた。
 そうして飛び乗った、次の瞬間には、大森林を縫って走らせていた。
 その後からこれも野馬に乗った碩寿翁が走らせていた。

 はたしてこの頃丹生川平では、恐ろしい事件が起こっていた。
「さあ火をかけろ!」
「火で焼き切れ!」
「どうでも扉はひらかなければいけない」
 洞窟の入り口に屯《たむろ》している、丹生川平の郷民達は、こう口々に喚きながら、枯れ木や枯れ草をうず[#「うず」に傍点]高いまでに、洞窟の扉の前に積んだ。
 茅野雄と浪江が郷民を切って、洞窟の内へ入り込んで、内から扉をとじてしまった。呼んでも呼んでも返辞をしない。扉をあけろと命じても、番人は返辞《いらえ》さえしようとしない。
 で、郷民達はこう思った。
(茅野雄が番人を切り殺し、内側から閂をかって[#「かって」に傍点]置いて内陣の方へ行ったのであろう)と。
 内から閂をかった[#「かった」に傍点]が最後、外からは開かない扉であった。火をかけて焼いて焼き切るより、開く手段はない扉であった。
 しかし郷民達は躊躇した。
(浪江殿は教主覚明殿の、一人娘ごであられるし、茅野雄殿は教主覚明殿の、一人の甥ごであられるのだから、扉を焼き切って洞窟内へ乱入してお二人を討ち取ることは、覚明殿に対してどうだろう?)
 で、郷民達は躊躇した。
 しかしその時郷民達に雑って、歯を食いしばり地団駄を踏み、洞窟の扉を睨みつけていた宮川覚明が、長髪を揺すり、狂信者にありがちの兇暴性を現わし、こう吼えるように怒号した。
「かまわないから火をかけろ! 扉を焼き切って乱入しろ! 茅野雄と浪江とが奥の院の、内陣にまで行きつかないうちに、追い付いて討って取るがよい! 洞窟内には関門がある! いくつとなく関門がある。厳重に番人が守ってもいる! 容易に破って行くことは出来ない。そこが我々の付け目とも云える! 二人を内陣へ行かせてはいけない! どうしても途中で討って取らなければいけない! ……娘でもない甥でもない! 我々に取っては教法の敵だ! 教法の敵の運命は、自ら一つに定《き》まっている! 刃《やいば》を頭上に受けることだ! ……さあやっつけろ! 火をかけろ!」
 これでやるべきことが定まった。
 間もなく煙りが渦巻き上り、火焔が扉へ吹きかかった。

 一方醍醐弦四郎は、曠野をズンズンと潜行して、間もなく白河戸郷を巡っている、丘の一つの頂きへ着いた。
 灌木の陰へ身を隠しながら、白河戸郷を見下ろした。
「これは一体どうしたんだ!」
 何を弦四郎は見たのであろう? いかにも驚きに打たれたように、こう頓狂な声を上げた。
 眼の下に見える白河戸郷に、一大事が起こっていたからであった。
 すなわち人家や牧場や、花園や売店や居酒屋などから、老若男女子供までが、得物々々をひっさげて、盆地の中央に聳えている、真鍮の天蓋型の屋根を持った、回教寺院《モスク》型の伽藍の方向へ向かって、波の蜒《うね》るように押し出して行き、その回教寺院を破壊するべく、得物々々を揮っているのであった。
 で、そこから聞こえてくるものは、人の喚き声と物の破壊《こわ》れる音とで、そうしてそこから見えて来るものは、砂塵と日に光る斧や槌や、鉄の棒や、鉞《まさかり》や刃物なのであった。
 内乱が起こったと見るべきであろう。
 この勢いで、時が経ったなら、白河戸郷という神域別天地は、間もなく滅亡してしまうであろう。
(これは内乱に相違ない! が、どうして内乱なんかが?)
 丘の頂きに立ちながら
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