俺はお前を見損なったよ! そんな女とは知らなかった! 我儘にもほどがある! いや贅沢にもほどがある! ……大目に見て置けばよい気になって、何ということだ何ということだ! ……月々の入費の大袈裟なことは! これでは俺もたまらない! この松倉屋は潰れてしまう! ……それにお前は勝手すぎるよ! 俺の気に入らない若僧どもを、いい気になって屋敷へ入れて、悪ふざけをして平気でいる。……俺は杉次郎が大嫌いだ。まるで歌舞伎の和事師《わごとし》のように、色が生白《なまちろ》くておべんちゃら[#「おべんちゃら」に傍点]で、女あつかいばかりが莫迦にうまくて、男らしいところがどこにもない。旗本の次男だということだが、あんな人間は寄せつけないがよろしい! それにお前の兄も嫌いだ。お前の兄ながら弁太という男は、どうしてヤクザの破戸漢《ごろつき》だよ。毎日のように出入りをしては、俺やお前から金を持って行く。まじめの仕事でもすることか、賭博ばかりやるということだ! どいつもこいつもみんな嫌いだ! おおおおそうそう京助という奴も、我慢の出来ないほど俺は嫌いだ。娘のような顔をして、娘のような品《しな》を作って、娘のようなお化粧をして、お前の用事ならどんなことでも聞くが、俺の用事ならどんなことでも聞かない。……あんな奴には暇をくれるがよい! でなかったら店の方へ廻してよこせ、使って使ってコキ使って、働き者に仕立て上げてやろうに。……ところがお前はあいつが好きで、お小姓のように目をかけている! お前は若い女房の身分だ、小間使いばかりを使うがよい。女は女を使うがよい。若い男を小間使いにまぜて[#「まぜて」に傍点]、いい気になって使ってなどといると、間違いが起こらないものでもない! ……何もかも俺には気に入らない! ……が、まあまあよいとしよう。だんだんに直して貰うとしよう。が、それはよいとしても、あれだけ[#「あれだけ」に傍点]は返して貰わなければならない。あれは大変な品物だからな。お前が是非とも見たいというので、一時お前に預けたが、是非とも返して貰わなければならない。さあさあお返し、さあさあお返し! ……アッハッハッハッ、泣くことはないよ。ナーニお前を叱ってはいない。やはりお前は俺には可愛い。お泣きでないよ、お泣きでないよ! ――とこんなように嚇《おど》しつ賺《すか》しつ、今夜はどうでもお菊をとらえて、云って云って云ってやらなければならない。……それにしても帰りが遅いではないか! 芝居は夕方にハネたはずだのに。……酔った酔った俺は酔った!」
 庭をグルグルと歩きながら、酔っているらしい勘右衛門が、女房のお菊の芝居帰りの、あまりに遅いのに心を苛立て、門の内側で相手もないのに、そこに女房がいるかのように、怒鳴ったり喚《わめ》いたりしているのであった。
(なるほど、これではよくないことが、松倉屋の家庭へ起こるかもしれない)
 門外に佇んで勘右衛門の独語《ひとりごと》を、聞くともなしに聞いた宮川茅野雄は、こう思わざるを得なかった。
 尚も勘右衛門は門の内側で、酔ったあまりに思慮を失って、止める者のないのを幸いにして、怒鳴り声をつづけているようであったが、茅野雄には興味がなくなったので、怒鳴り声を聞きすてて歩き出した。
(抜け荷買いをした人間だそうだ。今でこそ三卿のご用達《ようたし》などと、上品に構えてはいるけれど、一つ間違うと兇暴になって何をやり出すかわからないというのが、松倉屋勘右衛門の本性らしい)
 茅野雄は歩きながら思ったりした。
(どれ急いで家《うち》へ帰ろう)
 こうして茅野雄が自宅へ帰って、下男の弥助《やすけ》に迎えられて、自分の部屋へ入った時に、一つの運命が待っていた。
 飛脚が届けたという書面であった。
「夕方お飛脚が参りまして、この書面を置いて参りました」
 これが弥助の言葉であった。
「ほほうどこから来たのであろう? 俺のところへ書面を届けるような、親しい遠方の知人などは、どうにも俺にはなかったはずだが」
 呟きながらも宮川茅野雄は、文箱《ふばこ》をあけて書面を出して、静かに文面へ眼を落とした。
「お懐かしき茅野雄様、妾《わたし》は浪江《なみえ》でござります。あなたのたった[#「たった」に傍点]一人きりの、従妹《いとこ》の浪江でござります。浪江があなた様へお願いいたします。妾の処《ところ》へおいでくださいましと。妾の一家は五年前に、――あなた様が長崎へおいでになった時に、江戸を立ってこの地へ参りました。飛騨の国の高山城下から、十里ほど離れた山の奥の、丹生川平《にゅうがわだいら》という寂しい土地へ。……父も母も無事でござります。でも性質は変わりました。敵を持つようになりました[#「なりました」は底本では「なりした」]。で只今私達一族は、苦境にあるのでござり
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