たこと。伯父の覚明が訳の解らないほど、不思議な人間に変わったこと。
丹生川平という別天地が、何とも云えない気味の悪い土地で、丘ではあるが日あたりが悪く、四方森林にとりかこまれていたり、随所に洞窟や古沼などがあったり、一つの巨大洞窟の奥に、異国めいた造りの神殿があったり、そういう古沼の岸のほとりや、森林の中などに無数の住民が、家《うち》を作って住んでいたり、洞窟の中にはいろいろさまざまの、諸国から来た病人が、お籠りをして住んでいたり、そういう境地の一所に、堂々としてはいたけれど、暗く寂しく物恐ろしく、覚明の屋敷が立っていたり、等、等、等というような事が、「驚き」の主なるものであった。
茅野雄が、この土地へやって来るや、浪江は最初から驚喜したが、覚明の方は、それほどでもなく、
「うむ、茅野雄か、何と思って来たぞ?」
こんなように云ってから形をただし、
「俺《わし》に関しての行動に、一切干渉してはならない。洞窟の奥の神殿へは――わけても、神殿の内陣へは、決して入って行ってはならない。――が、これだけは頼んで置く、白河戸郷は丹生川平の敵だ。で、どうともして滅ぼさなければならない――滅ぼす策を講じてくれ」
こう云って茅野雄を迂散そうにさえ見た。
(驚いたな)と茅野雄は思った。
(昔の伯父はこんな人ではなかった。何らか神は信仰していたが、もっと性質が明るくて、秘密など持つような人でなかった。……それだのにどうだろう今の伯父は、山師にしてしかも狂信者! と云ったようなところがある。それにどうだろう伯父の風采は?)
覚明の風采は妙なものであった。切り下げの長髪を肩へかけ、異国めいた模様の道服を着し、刺繍の沓《くつ》を穿いていた。
(それに恐ろしく勿体ぶるではないか)
これも茅野雄にはおかしかった。
覚明は容易に人に逢わず、絶えず居場所を眩ませていた。時あって姿を現わす時には、十数人の侍者に周囲を守らせ、威厳をもって現われた。
そうして茅野雄に対しても、伯父甥として対しようとはしないで、一宗の祖師が一介の信者へ対するような態度で対した。
で、茅野雄はある時のこと、浪江に向かって問いを発した。
「伯父様の奉じている宗教は、回々教《ふいふいきょう》でございましょうな?」
こう問うたのには訳がある。
覚明がお祈りをする時に、こう云うことを云うのであるから。
「健在なれ、万福を神に祈れ、教主マホメットの感謝を神に挨拶せよ、全幅の敬意を表せよ、神は唯一にして、マホメットは教主なりと信ぜよ。信ぜよ、神は産れず、産ず、神と比較すべきもの何らあることなし」
そうしてこの言葉は回々教《ふいふいきょう》の教典、祈祷の部の中にあるのであるから。
「回々教のようでございます」
こう云って浪江は寂しそうに答えた。
そういう浪江の答えぶりによって、茅野雄は浪江が信者でないことを、ハッキリ感ずることが出来た。
で、茅野雄は尚も訊いた。
「どういう機会から飛騨の山中の、こんな寂しい物恐ろしい、丹生川平というような所へ、伯父様はおいでなされたのでござろう?」
「妾にも解らないのでございますよ。ある日父上にはこう仰言《おっしゃ》って、無理矢理に一家を引きまとめてこの土地へ参ったまででございます。『素晴らしい物を手に入れた。江戸にいては危険である。山中へ行って守ることにしよう』……」
「しかしわずかに五年ばかりの間にこのような建物を押し立てたり、このように信者を集めたり、よく行《し》たものでございますな」
「父は力を持っております。人を魅する不思議な偉大な力を! で、信者達が集まって来まして、このような建物をまたたく間に、建ててしまったのでございます」
「白河戸郷という彼《あ》の土地にも、同じように回々教《ふいふいきょう》の信者が、集まっているようでございますな」
「ええ」と、浪江は苦痛らしく云った。
「それで父上には白河戸郷を、憎んでいるのでございます」
「同宗という誼《よし》みから親しくすればよろしいのに」
「父は反対に申しております。白河戸郷を滅ぼして、彼《あ》の地に立っている神殿のうちの、重大なものを持って来なければ、丹生川平の本尊は、完全であるとは云われないと」
「白河戸郷の長という人は、どういう人物にございますな?」
「父の同門でありましたそうで。そうして父と同じように、何か重大な物を持って、父とほとんど同じ時に、父のように江戸から身を隠して、白河戸郷へ参ったのだそうで」
そう云った浪江という娘は、面長の顔、愁えを含んだ眼、肉感的のところなどどこにも見られない薄手の唇、きゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]で痩せぎすで弱々しそうな体格! 一見人の同情を呼び、尊敬を呼ぶに足るような、そう云ったような娘であった。それでいて一本の白百合のような、清浄
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