うえこ》す良策はない)
 で、弦四郎は若者達へ云った。
「方々《かたがた》拙者に存じよりがあります。ここに待ち受けて小枝という娘を、奪い取ることにいたしましょう。さあさあ木陰へおかくれなされ」

 で、弦四郎をはじめとして、丹生川平の若者達は、木陰に体をひそませて、小枝達の一行の近寄って来るのを、一団にかたまって待ち受けた。
 そういう危険が待っているという、そういうことを小枝達が、どうして感付くことが出来よう。野花を摘みながら讃歌をうたい、歌いながら次第に林の方へ、浮き浮きとした様子で近寄って来た。
 間もなく小枝達の一行は、林の前まで来ることであろう。
 と、弦四郎達の一団が、踊り出て彼女達を襲うであろう。
 その結果は知れている。
 小枝は奪われるに相違ない。
 しかるにこの頃一人の武士が、汚れ垢じみた旅姿で、曠野をこっちへ辿って来た。
 他ならぬ宮川|茅野雄《ちのお》であった。
 輿《こし》を担《かつ》いで来た二十人の、異様な樵夫《そま》のような人物達に、意外なことから襲われて、数人茅野雄は切りは切ったが、不覚にも崖を踏み外して、谷底深く落ち込んだのは、この日から十日前の深夜のことであった。
 脾腹《ひばら》を岩などで打ったからであろう、茅野雄は谷底で意識を失った。
 と、何者か呼ぶ者があった。
「お侍様! お侍様!」
 で、茅野雄は蘇生した。
 年寄りの夫婦の樵夫がいて、茅野雄を親切に介抱していた。
 通りかかった良人《おっと》の方の樵夫が、気絶している茅野雄の姿を、谷底で発見したところから、自分の小屋へ連れて来て、妻と介抱して蘇生させたのであった。
 爾来茅野雄は小屋の中で、老樵夫夫婦の厄介になり、傷の養生に精を出した。大した負傷でもなかったので、まもなく恢復することが出来た。
 で、樵夫夫婦に礼を述べ、丹生川平への道筋を、夫婦の者に教えられ、今朝方|出発《た》って来たのであった。
 茅野雄は曠野の美しい景色に、一種の恍惚を感じながら、長閑《のどか》に先へ歩いて行った。
 と、その時行く手にあたって、小高い丘が立っていたが、その丘の背後《うしろ》と思われる辺りから、男達の怒声が突如として起こり、つづいて女達の悲鳴が聞こえた。
 で、茅野雄は眼をひそめたが、声の来た方を眺めやった。
 間断なく男達の怒声が聞こえ、女達の悲鳴がそれにつづいた。大勢の男女が争っ
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