まいかな? お城下へ通じている道である以上は、本街道と云わなければならない。本街道なら本街道らしく、たとえまれまれ[#「まれまれ」に傍点]であろうとも、人家が立っていなければならない)
ところが人家は一軒もない。
(おかしいな、おかしい)
しかし老樵夫がああ教えた以上は、やはり高山のお城下へ通う、本街道であるものと認めて、辿って行くべきが至当のようであった。
で、茅野雄は歩いて行った。
人間の不安や心配などに、なんの「時」が関わろうとしよう。間もなく夜となり夜が更けた。星の姿さえ見えないほどに樹木が厚く繁っている。で、四辺《あたり》が真の闇となり歩こうにも、歩くことが出来なくなった。
(いよいよ野宿ということになった。どうも仕方がない野宿をしよう)
狼の襲来というようなことも、弦四郎の襲来というようなことも、もちろん心にはかかったけれども、それよりも山道を歩いて行って、断崖などを踏みそこなって、深い谿《たに》などへころがり落ちて、死んでしまうかもしれないという、そういう不安の方が茅野雄にとっては、緊急の不安であったので、野宿をすることに決心した。
(大岩の陰へでも寝ることにしよう)
で、手さぐりに探り出した。
と、その時遥か行く手の、高所《たかみ》の上から一点の火光が、木の間を通して見えて来た。
(はてな?)と、これは誰でも思う。茅野雄は怪しんで火光を見詰めた。
と、火光が下って来た。しかも火光は数を増した。二点! 三点! 五点! 十点!
……で、こっちへ近寄って来る。
(あの光は松火《たいまつ》だ。山賊かな? それとも樵夫であろうか?)
どこへ?
そもその一団は何者なのであろう? その風采から調べなければならない。同勢はすべてで二十人であったが、筒袖に伊賀袴を穿いていて、腰に小刀を一本だけ帯び、切れ緒の草鞋《わらじ》をはいていた。で、風采から云う時は、大して変なものでもなかった。が、顔立ちには特色があった。と云うのは山間の住民などに見る、粗野で物慾的で殺伐で、ぐずぐずしたようなところがなくて、精神的の修養を経た、信仰深い人ばかりが持つ、霊的な顔立ちを備えているのである。
彼らは輿《こし》を担いでいた。白木と藤蔓とで作られた輿で、柄《え》ばかりが黒木で出来ていた。四人の若者が担いでいる。どこか神輿《みこし》めいたところがあって、何となく尊げ
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