だから贔屓にしてやるのだよ。でもそれは本当かしら? 妾がどのような無理を云っても、お前は聞いてくれるかしら?」
「聞きます段ではございません。きっと、きっと、きっと聞きます」
「それではお前をためす[#「ためす」に傍点]意で、少し無理なことを云いつけようかしら」
 そこは松倉屋の女房の部屋で豪奢な調度で飾られていた。
 その部屋に坐って話し合っているのは、女房のお菊と気に入りの手代の、二十歳《はたち》になる京助とであった。

お菊と京助

「それではお前を験《ため》すつもりで、少し無理なことを云いつけようかしら」
 こう云いながら立ち上ったのは、松倉屋の女房のお菊であった。濃い眉毛に大きな眼に――その眼はいつも潤《うるお》っていて、男の心をそそるような、艶《なまめ》きと媚びとを持っていた。――高慢らしい高い鼻に、軽薄らしい薄手の唇に――しかしそういう唇は、男の好色心を強く誘《いざな》って、接吻《くちづけ》を願わせるものである。――お菊の顔は美しかった。と云ってどこにも一点として、精神的のところはなくて、徹頭徹尾肉感的であった。
 で、立ち上った立ち姿などにも、そういう肉感的のところがあった。発達した四肢、脂肪づいた体――乳房などは恐ろしく大きいのであろう、帯の上が円々《まるまる》と膨らんでいて、つい手を触れたくなりそうである。女の肉体は肩と頸足《えりあし》と、腰と脛《はぎ》との形によって、艶っぽくもなれば野暮ったくもなる。お菊の肩は低く垂れていて、腕が今にも脱けそうであった。頸足の白さと長さとは雌蕊《しずい》を思わせるものがある。胴から腰への蜒《うね》り具合と来ては、ねばっこくて[#「ねばっこくて」に傍点]なだらかでS字形をしていて、爬虫類などの蜒り具合を、ともすると想わせるものがあった、で、どのような真面目な男でも、その腰の形を見せつけられたならば、溜息を吐かざるを得なくなるだろう。
 はたしてキチンと膝を揃えて、敷き物も敷かずにかしこまって[#「かしこまって」に傍点]いた、手代の京助は悩ましそうに、こっそりと一つ溜息をしたが、周章《あわて》て視線を腰から外《そ》らせた。と、京助は一層に悩ましい、溜息を吐かなければならないことになった。と云うのは立ち上った女房のお菊が、隣の部屋へ行こうとして、サラサラと足を運んだ時に、緋縮緬を纏った滑石《なめいし》のような脛が、裾
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