からこぼれて見えたからである。
「ホー」とそこで溜息をしたが、京助は思わず手を上げた。苦しいほどにも蠱惑《こわく》的の物を、うっかりと見た自分自身の眼を、急いで抑えようとしたのであった。が、中途で心が変わったのか、上げた手で忙《せわ》しくぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]を撫でた。汗が流れていたからである。
しかし京助は幸福なのであった。
(何てお美しい奥様なのだろう。私は何よりも美しいものが好きだ。お本店《みせ》へ務《つと》めて荷作りをしたり、物を持ってお顧客《とくい》様へお使いをしたり、番頭さんに睨まれたり、丁稚《でっち》に綽名を付けられたり、お三どんに意地悪くあたられることは、どうにも私の嗜好《このみ》に合わない。お美しい奥様のお傍に仕えて、何くれとなくお世話をして、「京助や、この衣裳はどう?」「よくお似合いでござります」「京助や、この櫛はどう?」「まことにお立派でござります」「京助や、今日の髪はどう?」「お綺麗なお髪《ぐし》にござります」「京助や、下駄をお出し」「はい、揃えましてござります」「京助や、供をしておいで」「お供いたすでござりましょう」――などと何くれとなくお世話をするのが、私には大変好もしい。お蔭で指は細くもなり、滑らかにもなり白くもなった。節立った指などというものはどうにも私の嗜好に合わない)
その京助という若い手代は、どういう性質の男なのであろう?
決して悪人でないばかりか、正直で忠実で働き好きで、そうして綺麗好きの若者であった。ただ小心だということと、腕力のないということと、男性よりも女性を好んで、男性に対すると無口になるが、女性に対するとお喋舌《しゃべ》りになって、活き活きとしてくるという、そういう欠点があるばかりであった。
で、自然と松倉屋の主人の、勘右衛門に対しては不機嫌となるが、勘右衛門の女房のお菊に対すると、よきお小姓となるのであった。
ところで最近に京助にとって、面白くないことが起こってきた。
旗本の次男の杉次郎という武士が、女王様のように崇拝《すうはい》をしている、奥様の心をたぶらかして、奥様の心を引っ張り寄せて、愛人としての位置を掴んだかのように、京助に感じられたことであった。
(あの杉次郎という若侍は、どうやら奥様を甘言《かんげん》でまるめて、お金や物品《もの》を持ち出すらしい)
これが京助には面白くなかっ
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