たのである。
 こうなっては茅野雄は仕方がなかった。がむしゃら[#「がむしゃら」に傍点]に前面の敵に向かって、切り散らして逃げるより方法がない。
 しかし茅野雄は考えた。
(ここは曠野で隠れ場所がない。どこまで逃げてもまる[#「まる」に傍点]見えだ。また追いつかれて扼されるであろう。これはどうしても林の中か、森の中へ駆け込んで、身を隠さなければ仕方がない)
 で、背後を振り返って見た。
 曠野を仕切って壁のように、連らなっている大森林があった。
(あの森林の中へ入ってやろう)
 で、茅野雄は突嗟の間に、手綱をしぼると馬を廻し、一散に後へ引っ返した。
 その行く手には馬に乗った、丹生川平の郷民達が、得物を揮って群がっていたが、駈けて来る茅野雄の必死の姿に、気を呑まれたか道をひらいた。で、茅野雄は駆け抜けた。
 と、これはどうしたのであろう、ドッと背後から大勢の者の、笑う声が聞こえてきたではないか。
 こういう危急の場合にも、笑われて見れば気持が悪い。そこで茅野雄は振り返って見た。
 丹生川平の郷民達が、遥かの後方に屯《たむろ》していて、茅野雄の方を指さして、笑っているのが見てとれた。
(何故あいつらは笑っているのだ? 何故俺を追っかけて来ないのだ?)
 とは云え彼ら丹生川平の、郷民達から云う時には、笑うべきことに相違なかった。
 というのは大森林の奥所《おくど》にあたって、丹生川平があるのであるから。
(あの可哀そうな旅の武士は、自然に一人で俺達の郷へ、惨《いじ》められるために駆けて行く)
 で、指さしをして笑ったのであった。
 そういうことを茅野雄は知らない。
 で、馬を走らせた。
 しかしその時背後の方にあたって、忽然鬨の声がわき起こったので、振り返らざるを得なかった。
 何を茅野雄は見たであろう?
 丹生川平の郷民達の群へ、一団の人数が襲いかかって、凄まじい戦いを演じている。
 白河戸郷の郷民達が、ようやくこの時駈けつけて来て、丹生川平の郷民達へ、殺到したに他ならなかった。
 しかし茅野雄その人にとっては、そんな事情は解らなかった。
(この隙に森林の中へ入り、危険から遁れることにしよう)
 で、いよいよ馬をあおって、森林の方へ駈けて行ったが、間もなく姿が見えなくなった。
 森林が茅野雄を呑んだのである。

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 飛騨の萩村は街道筋における、相
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