一匹の馬が躓《つまず》いて、乗り手が逆様《さかさま》に落ちようとした。しかしその時にはもう一人の乗り手が、いち早く横手へ走って来ていて、落ちかかった乗り手を手を延ばして支えた。
やがて一団は集合したままで走った。
彼らの走って行った後に、何が残されているだろう? 踏みにじられた無数の草花と、蹄で掘られた無数の小穴と、蹴殺された幾匹かの野兎と、折られた木の枝と散らされた葉と、崩された沼の岸とであった。
一所から彼らの一団の、姿が見えなくなった時には、遥かの前方の一所に、彼らの一団が見えていた。
得物の触れ合う金属性の音と、絶えず叫んでいる警戒の声と、馬の嘶《いなな》きと蹄の音とが、一つに塊《かた》まった雑音が、一所で起こって消えた時には、既に遥かの前方で、同じ雑音が起こっていた。
不意に彼らの一団の上に、華やかな光が輝いた。空を蔽うていた森林が切れて、そこから日の光が落ちて来たからである。と、彼らの一団の中で、雪のように白く輝く物があったが、それは三頭の白馬であった。
しかし瞬間に彼《か》の一団は、輝かしい日の光の圏内から消えて、暗い寂しい物恐ろしい、森林の奥へ消え込んだ。
こうして無二無三に走って行く。
この勢いで走ったならば、四里の道程《みちのり》などは一時間《はんとき》足らずで、走り抜けてしまうことであろう。
そうして曠野へ現われたならば、醍醐弦四郎に力を添えて、宮川茅野雄を打って取って、小枝を奪うことであろう。
「オ――イ! オ――イ! オ――イ! オ――イ!」
しかしこういう呼び声を上げて、白河戸郷の長の娘の、小枝の侍女達の命限りに、曠野を転んだり起きたりして、道程一里の白河戸郷の方へ、小枝が怨敵丹生川平の者に、誘拐《かどわか》されたということを、告げるために走って行っていることに、一方留意をしなければならない。
「オ――イ! オ――イ! オ――イ! オ――イ!」
侍女達は懸命に走って行く。
一人の侍女がまた転んだ。と、衣裳の裾が乱れて、白い脛《はぎ》が現われた。恥かしいとも思わずに、あらわな脛で立ち上ると、あらわな脛でその侍女は走った。
もう一人の侍女が地に仆れた。その瞬間に握ったのでもあろう、起き上った時に右の手に、野茨《のいばら》の花を握っていた。枝も一緒に握ったものと見えて、その枝の刺《とげ》に刺されたらしく、指から生血
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