、ここへ取り詰めたのは堀|豊前守《ぶぜんのかみ》で、同勢は二百五十人であった。しかし三郎兵衛も重兵衛も忠弥ほど迂闊ではなかったと見えて、捕り方に先立って逐電したが、徳川も既に四代となり法令四方に行き渡り、身を隠すべき隈《くま》も無かったか、間もなく二人とも宣《なの》り出て、忠弥[#「忠弥」は底本では「中弥」]等と一緒に刑を受けた。京都へ乗り込んだ加藤市左衛門も、大阪方の大将たる金井半兵衛も吉田初右衛門も、それぞれその土地の司直の手で、多少の波瀾の後で捕らえられた。
 こうして正雪一味の徒はほとんど一網打尽の体《てい》で、一人残らず捕らえられたが、その捕らえ方の迅速なるは洵《まこと》に電光石火ともいうべく真に目覚しいものであって、これを指揮した松平伊豆守は、諸人賞讃の的となった。
「さすがは智慧伊豆。至極の働き」
 容易のことでは人を褒めない水府お館さえこういって信綱の遣り口を認めたのであった。
 しかるにここに不思議な事には、反徒の頭目由井正雪を駿府の旅宿で縛《から》めようとした時だけは、幕府有司のその神速振りが妙にこじれて精彩がなかった。江戸から発せられた早打が駿府の城へ着いてから、
前へ 次へ
全17ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング