な紙は利久であった。こういう風俗で十八大通や、蜀山人などと連れ立って、吉原などへ行ったものらしい。
「饒舌《じょうぜつ》にしてわずらわし」――彼についてこう云われている。
「油坊主」「蝉時雨《せみしぐれ》」――などというような綽名《あだな》さえ、彼にはあったということであるが、しかし彼の饒舌《じょうぜつ》は、もちろん天性にもあったろうけれども職掌からも来ているらしかった。と云うのはノベツに能弁に、不得要領のことや洒落《しゃれ》や皮肉や、警句などを連発している間に、容疑者の態度や顔色や、心理の変化を観察したからで、この饒舌が著しく、職業に役立ったということである。
貝十郎がそのお喋舌りを、新八郎に向かってやり出したのである。
(それ始まったぞ始まったぞ)と、新八郎が苦笑したのは、当然なことと云わざるを得まい。
「とはいえ今日は一月の十五日、貴殿がここへおいでなされて、あの異様な行列をつけて行かれるのは当然とも云えます。が、拙者は、不思議なので。どうしてああいう行列が、今夜あのように練って行くか、お知りなされたかが、不思議なので。探ってお知りなされたかな? それとも恋の念力から……」
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