…おお恐ろしい! 誰か来ておくれ、京一郎が妾を!」
 ――こんなことがあってよいものだろうか! 母はその子に殺されるかのように、こう大声に助けを呼んで、縁から庭へ遁《の》がれようとした。
「お母様!」と追い縋った。
「誰か来ておくれ!」と障子をひらいた。
「逃げますか! お母様! コ、こんなに……頼んでも頼んでも頼んでも!」
 よーし! と猛然と追い迫った時、自然にまかせて生い茂らせ、長年手入れをしなかったため、荒れた林さながらに見える、庭木の彼方《あなた》に立っている、これはそういう林の中の、廃屋さながらの建物の中から、老人の歌声が響いて来た。

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※[#歌記号、1−3−28]かすかに見ゆる
 やまのみね
 はれているさえなつかしし
 舟のりをする身のならい
 死ぬることこそ多ければ
 さて漕ぎいだすわが舟の
 しだいに遠くなるにつれ
 山の裾辺の麦の小田
 いまを季節とみのれるが
 苅りいる人もなつかしし
 わが乗る舟の行くにつれ
 舟足かろきためからか
 わが乗る舟の行くにつれ
 色も姿もおちかたの
 深き霞にとざされぬ
 われらの舟路! われらの舟路!

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