これはとんだ話で、あなた様こそ殺生な真似など、なさいません方がよろしいようで」
「何を馬鹿な、十二神《オチフルイ》め!」
「館林様こそよくございません」
その後の事を十二神貝十郎は、後日次のように人に話した。
お小夜と珠太郎の媾曳《あいびき》をだね、築山の蔭から見ていたのは、我輩《わがはい》ばかりではなかったのさ。館林様も見ていたのさ。それを互いに知ったものだから、大声で暴露し合ったのさ。
お小夜と珠太郎の吃驚《びっくり》したことは! それはほんとに気の毒なほどだった。もちろん二人は逃げてしまったさ。お小夜は外へ、珠太郎は家内《うち》へな。そこで我輩も外へ出た。
丘を下りると街道で、片側が松林になっている。松林の中からは人声などがしていた。少し行って左へ曲がった。と、明るい燈の光が見え、沢山の人が集まっていた。
ナーニ何んでもありゃアしない、潮湯治の客を当て込みにした、薦張《こもば》りの見世物の小屋があって、無数の提灯がともっていて、看板を見る人達が、小屋の前に集まっていただけなのさ。
二
足芸をする若い女太夫、一人で八人分の芸を使う、中年増の女太夫、曲独楽《きょくごま》を廻す松井源水の弟子、――などというような芸人を、一緒に集めて打っている小屋で、都会ではとうてい見ることの出来ない、大変もないイカモノ揃いなのだが、そこは田舎のことなので、毎夜繁昌していたものさ。
潮湯治というのは海水を浴びて、病気を癒すというのが一つ、水泳自慢に泳ぐことによって夏の暑さを忘れるというのが一つ、……遊山半分の贅沢な人の、贅沢な療治そのものなのだから、夜などは無聊に苦しんでいる。そこでそんなような見世物が掛かって、繁昌をする次第なのさ。
木戸番の老爺《おやじ》が番台の上に坐って、まねき[#「まねき」に傍点]の口上を述べていた。
「八人芸の真っ最中で、見事なものでございますよ。足で胡弓を弾くかと思うと、口で太鼓の撥《ばち》をくわえ、太鼓を打つのでございますからな。その間に片手で三味線を弾き、片手で鉦《かね》を打つんでさあ。その太夫が年増でこそあれ、滅法美しい仇《あだ》者なのですからなあ。……団十郎の声色であろうと、菊五郎左団次の声色であろうと、声色であったらどんな声色でも、一度耳にしたら使って見せる――と云う器用な太夫さんでもあるので。……八人芸の真
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