ョロヒョロと先へ進んだ。
六
廊下の片側が雨戸になっていて、その一枚が開いていたので、そこから裏庭へ出て行った時にも、貝十郎の酔は醒めていなかった。
遅い月が出て植え込みの葉が、いぶし銀のように光っている蔭から、男女の話し声が聞こえて来た時には、しかし貝十郎も耳を澄ました。
「おい豊ちゃんどうなんだい」
「鏡ちゃん、駄目だよ、まだなんだよ」
「駄目、へえ、どうして駄目なんで?」
「あの人どうにも固いのでね」
「何んだい、豊ちゃん、意気地《いくじ》がないなあ」
「鏡ちゃんだって意気地がないよ。二度も三度も縮尻《しくじ》ったじゃアないか」
「邪魔がそのつど出やがるのでね。それもさいつも同じ奴が。江戸者らしい侍なんだよ」
「江戸者らしい侍といえば、妾もそういうお侍さんへ、酒を飲ませて酔いつぶしてやったよ」
「邪魔の奴はつぶ[#「つぶ」に傍点]してしまうがいいなあ。……でないといい目が見られないからなあ。……豊ちゃんと俺《おい》らとのいい目がさ」
「そうとも」と女の声が云った。愛を含んだ声[#「含んだ声」は底本では「含ん声」]であった。
「そうとも二人のいい目がねえ。……妾《わたし》アお前さんが可愛くてならない」
それっきり、声は絶えてしまった。
(オーヤ、オーヤ)と貝十郎は思った。(ここでも媾曳《あいびき》が行われている。悪党同士の媾曳だ。鏡太郎とそうしてお豊とらしい)(悪くないな)としかし思った。(罪悪のあるらしい旧家の裏庭で、美貌の若者と美貌の女とが、月光に浸りながら媾曳をしている。詩じゃアないか! 詩じゃアないか! そいつを与力が立ち聞きしている。詩じゃアないか! 詩じゃアないか! ……厭だよ、こんないい光景を「御用だ!」などという野暮な声を出して、あったらぶち壊してしまうのは。……こっそり逃げて帰ってやろう)
酔がさせる業であった。与力の方から逃げ出したのである。
彼は家へははいらなかった。庭を巡ってどこまでも歩いた。
宏大な建物を囲繞《いにょう》して、林のようにこんもりと、植え込みが茂っている庭であり、諸所に築山や泉水や、石橋などが出来ており、隔ての生垣には枝折戸《しおりど》などがあったが、鍵などはかかってはいなかった。幾個《いくつ》かの別棟の建物があり、厩舎《うまや》らしい建物も、物置きらしい建物も、沢山の夫婦者の作男達のための
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