郎の姿を見ると、その男達は逃げてしまった。
「娘ご、どうかな、怪我《けが》はなかったかな」
「はい、ありがとう存じます。おかげをもちまして」
「それはよかった。家はどこかな、送って進ぜる、云うがよい」
「はい、ありがとう存じます。すぐ隣り村でございまして、征矢野《そやの》と申しますのが妾《わたし》の家で……あれ、ちょうど、家の者が……喜三や、ほんとに、何をしていたのだよ……」
「お嬢様、申しわけございません。道で知人《しりあい》に逢いましてな」
手代風の若者が小走って来た。こういう事件のあったのは明和二年のことであって、所は木曽の福島であった。
その翌日のことである。
「どなたか! あれーッ、お助けください!」
若い女の声がした。で、貝十郎は走って行った。駕籠舁《かごか》きが娘を駕籠へ乗せて、今やさらって行こうとしていた。
「こいつら!」と貝十郎は一喝した。駕籠舁きが逃げてしまった後で、貝十郎は女を見た。
「や、昨日の娘ごではないか」
「まあ」と娘も驚いたようであった。「あぶないところを重ね重ね」
「それはこっちでも云うことだが……」
「あれ、幸い家の者が……」
三十五、六歳の乳母らしい女が、息をはずませて走って来た。
「お三保様、申しわけございません」
その翌日のことであった。木曽川の岸で悲鳴がした。
(ひょっとするとあの女だぞ)
思いはしたが貝十郎は、声のする方へ走って行った。筏師《いかだし》らしい荒々しい男が、お三保を筏へ引きずり込み、急流を下へ流そうとしていた。しかし貝十郎の走って来るのを見ると、筏師と筏とは川下へ逃げた。「娘ご、これで三度だな」「重ね重ね、ほんとうにまあ……」「隣り村はなんという村だ?」「駒ヶ根村でございます。……爺や、お前、何をしていたのだよ」「はいはいお嬢様、申しわけもない……」
六十近い下僕《しもべ》らしい男が、汗を拭き拭き走って来た。
(あれ、幸い、家の者が――と云う段取りになったという訳か)貝十郎は思い思い別れた。
(俺を釣ろうとの計画とも見えれば、連続的偶然の出来事とも見える)旅籠屋|舛屋《ますや》へ帰ってからも、貝十郎は考え込んだ。
(よし、面白い、探って見よう)で、翌日駒ヶ根村へ出かけた。
用があって木曽へ来たのではなかった。風流から木曽へ来たのであった。よい木曽の風景と、よい木曽の名所旧蹟と、よい木曽の
前へ
次へ
全83ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング