念仏、三甚内はこの世からつまり消えたも同じ事、江戸は今からご安泰だ。アッハッハッハッ」と揺すり上げて勾坂甚内は笑ったが、それは悲壮な笑いであった。
戸外《そと》では雪が降り出した。遅い今年の初雪で、一旦さっき止んだのがまたしめやかに降り出したのである。
間もなく浅草鳥越において勾坂甚内は磔刑《はりつけ》に処せられ無残の最後をとげたそうであるが、庄司、富沢の二甚内はめでたく天寿を全うし畳の上で往生をとげ、一は吉原の起源を造り一は今日の富沢町の濫觴《らんしょう》を作《な》したということである。
底本:「銅銭会事変 短編」国枝史郎伝奇文庫27、講談社
1976(昭和51)年10月28日第1刷発行
初出:「ポケット」
1925(大正14)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボラン
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