った今日この頃はどうかというに、目星い稼ぎ人は影さえもない」
などと不平を云ったりした。
「そうは云っても五年前よりよくなったことも若干《いくら》かはある。散在していた風呂屋女を吉原の土地へ一つに集め、駿府の遊女町を持って来たなどは確かに面白い考えだ」
こんなことを云いながら、その吉原の遊女屋へ、自身根気よく通うのであった。
福岡の城主五十二万石、松平美濃守のお邸は霞ヶ関の高台にあったが、勾坂甚内は徒党を率い、新玉《あらたま》の年の寿《ことぶき》に酔い痴れている隙を窺い、金蔵を破って黄金《かね》を持ち出した。
「いや春先から景気がよいぞ。さあ分配金《わけまえ》をくれてやるから、どこへでも行って遊んで来い」
手下どもを追いやってから、自分も重い財布を握り、いつもの癖の一人遊び、ブラリと吉原へやって来た。大門をはいれば中之町、取っ付きの左側が山田宗順の楼《ろう》、それと向かい合った高楼はこの遊廓の支配役庄司甚右衛門の楼《いえ》である。
遊里の松の内と来たひにはその賑やかさ沙汰の限りである。その時分から千客万来、どの楼《いえ》も大入叶《おおいりかな》うである。
庄司の姓も懐しく甚
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